2021年11月9日火曜日

「敵」の存在

 今日の朝日新聞で、ノンフィクション作家の保阪正康氏が、先日の総選挙の結果を「戦後の終焉」と締めくくっている。この意味するところに共感したのは、タイトルで「哲理なき現状維持を選んだ国」とあるから、戦後の終焉を肯定的に捉えてはいない筈だ。保坂氏とは同い年だから、思いが分かるような気がする。何とも歯がゆい感じがあるが、氏も諦めに似た感情が入り混じってと思う。

他人の思いや、今後の日本を考えるのもどうかと思うが、最近の報道では日本の安全保障問題が多く取り上げられる。これが憂慮すべき環境にあるというのだ。そして「敵国」「敵基地」など「敵」と言う言葉も頻繁に使われるようになった。敵がいる一方には同盟国がある理屈で、日本はアメリカと同盟関係にあることは承知してるが、準同盟国が増えてるような気がするのも事実。

しかし「敵」が多用されても、敵国が何処にあるかがハッキリしない。半分明示されたような状態にあるのが隣国の「北朝鮮」。この国とは交易関係は無いに等しいし、夏の東京オリンピックにも参加しなかった。しかし敵であるかどうかはハッキリしない。北朝鮮が日本に対して挑発的な言辞を用いたとも聞かないし、公式には国交回復途上にある訳で、北朝鮮国籍の人が大勢日本に在住してるのも事実だ。

敵の定義がはっきりしないから良いようなものだが、日本に対してミサイル攻撃の準備を怠らない国の筆頭は北よりむしろ韓国であり、中国やロシアもそれに準じるだろう。韓国は別にしても、中露は明らかにアメリカを意識してる筈なので、いざという時に日本の米軍基地を叩けるよう準備に怠らないだろう。要するに日本の安全保障環境は昔からそんなに変わっていない。だから、どの国を想定してするにしても、マスコミも声高に「敵」なんて安易に使うべきでない。

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