2021年6月25日金曜日

忖度と責任

 先月の初めに親しい友人が亡くなった。既に49日を過ぎてしまったが残念ながら未だ成仏できていないことが気がかりだ。彼の家庭環境が少し複雑で、遺族と仕事関係者との間でお決まりのいざこざが発生してるためである。当事者にはそれぞれ言い分があるのだろうが、第3者的には故人の成仏を願うのが先だろうと思ってしまう。それでも憂き世とはよく言ったもので、関係者には若い人も居てどうしても生臭い話が持ち上がってしまう。

双方を知る立場なのでなんとか仲裁したい気持ちもあるが、親しいと言っても他家、他人の葬祭に関すること、なまじには嘴を突っ込めない。故人の思いを忖度しながら、自分に何が出来るか考えたりするが、難しい問題であることしか分からない。 

忖度繋がりで、ここ数日報道を賑わしている赤城ファイルのことが脳裏に浮かんだ。500頁を超す膨大なものらしいが、これをどう読んでも赤城さんを死に追い込んだ真犯人は読み取れないことだけははっきりしてるようだ。元財務本省の高級官僚たちや政治家諸氏は、証拠があるなら出してみろと言わんばかりに高を括っているように見える。赤城ファイルが出ようと出まいと、最大の責任者は安倍元首相と麻生財務相、それに二人を纏めて面倒見た元官房長官の菅首相であることははっきりしている。

いわば日本で最高の権力者3人が協力して、公文書偽造と言うとんでもない犯罪を犯したわけだ。日本の権力機構は三権分立とは名ばかりで、行政府と立法府が一体であるだけでなく、司法までも行政が抑え込んでいるのはよく知られていること。よって権力中枢部が、赤城ファイルなんか目じゃないと高笑いしてる声が聞こえるようだ。彼らには恐れるものが何も無いのだ。

しかし考えてみると恐れるもの、畏れるものが何も無い人生てつまらないものではないか。あとは何を望み願うのだろうか?昔は天皇でさえ民の竈に煙が立たなくなることを恐れた。今の権力者たちは国民のことさえ余り意中に置かない。強いて言えばアメリカ政府の鼻息を伺うことくらいしか無いのだろう。しかし言うではないか「天網恢恢疎にして漏らさず」「満つれば欠ける」だ。仮にそれも恐れないとしても、彼らは何に誇りを感じて生きてるのだろう?

いい歳して誇るべきものは地位や権力だけと言うのも憐れなものだ。


0 件のコメント: