2021年6月24日木曜日

死後のこと

 今年に入ってからコロナ禍で亡くなった人が1万人を超えたらしい。既に昨年暮れまでの倍以上。それでもオリンピックは開催を強行とのこと、関係者の神経を疑いたくなる。閑話休題

御時世だから一人いる機会が多く、さしたる仕事も無いので、どうしても自分の来し方行く末を思ってしまう。過ぎ去りし日々を思うと、実に多くの人との出会いがあり、その人達から多くの恩を蒙っている。借りも多いと思うが、借りっぱなしのことが如何ほどあるか、考えてみたい。少なくても借金は無さそうだが、恩返しの借りは相当ある。また、これから先の人生がどのくらいかも想像できないが、なるべく他人様に迷惑かけずにいけるかどうか、これも大きな問題だ。

そのためにはなんと言っても身体の健康だが、これがこの年令になると流石に不安になる。いつの時点でどこから弱ってくるか、これは誰も教えてくれぬから自分で兆候を掴むしいかない。朝晩そのために基本的な運動を繰り返し、息をしてるが、なかなか分からない。ただ思うのは、分かった時は手遅れに違いない。その時になって誰かに来てくれと頼んだり、入院でもするために自分で手配が可能だろうか?脳血管に損傷が発生したら不可能という理屈は分かる。

母から聞いた話だが、祖母は気丈な人で生前「自分のことは自分で始末するし、準備もしてある。」と言ってたそうだが、実際には何も準備なんか無かったそうだ。しかも我が家は家系的に癌より循環器系統の死因が多いようだ。何か措置しなければいけないと思うが良い知恵が浮かばない。最近はテレビなんかの宣伝で「終活」、即ち死後への備えが言われるが、死後のことは余り気にならない。

死後のことは弟や子供たちが相談して決めればいいだけのこと。弟は養子に出てるので子供二人が相談するだけかもしれぬ。兎に角、生きてこの世にあるうちは出来るだけ他人様から後ろ指を指されることが無いようにしたいものだ。梅雨の雨で外出もできないので、普段余り見ない両親の写真などを見て思った。俺はやはり不肖の子。残された日々が少ないことを思えば、とても両親のようにはいかぬだろうが、葬式の後のお斎ぐらいは賑やかにして、思い出を語り合ってほしい。

0 件のコメント: