2021年6月21日月曜日

イメージの限界

 昨日夕方雨も上がったので、夕食のため池袋まで出かけた。途中はいつもと変わらぬ様子だったが、地下に入ってJR池袋駅改札に近づくとただならぬ雰囲気の黒山の人だかり。構内放送が「山手線、埼京線、京浜東北線が停止してます。構内から外に出るにはICカードをタッチして頂くだけで入場した時の記録が消去されます。窓口での手続きはしていません。」を繰り返し流している。今朝新聞で確認すると「変電所で送電設備に故障が発生し、山手線全線の内回りと外回りで約4時間、運転を見合わせた。」となっている。実際には神奈川の相鉄とか総武線関係で千葉方面にも大きな影響があったようだ。

兎に角現代社会は、昭和時代に培われた貧弱な知識では想像できない広がりを持っていることを実感する。幼い頃といっても何歳ころか記憶はないが、勘定を教わった。父の声が記憶にあるので多分小学1年生くらいだろう「ひー、ふー、みー、よ・・・」直ぐ100まで覚えたので我ながら頭がいいと内心思ったものだ。更には3年か4年生位になると算盤の授業があって位取りを覚える。「一、十、百、千、万、十万、百万、千万、億・・」社会に出て10年くらい経った頃だったか、得意先だった松下通信工業が電子計算機を開発してその宣伝の一端に携わった。

計算機の桁数が12桁の千億までもあって、誰ががこんな数字を必要とするのかと思ったりしたものだ。平たく言えばそれ以上の数字の世界はイメージができないのだろう。世界には人間が60億人とか70国んいると言われても、既にピンとこない。1億数千万人国内でさえ、生身の人としてはイメージできない。顔を思い浮かべることが出来るのは、どうだろう百人か2百人が精一杯で、それ以上になると写真を見ても、面と向かっても「誰々さん」とは分からないのが普通ではないか。

しかしここ数十年の機械の進歩は社会の様相を一変してくれた。所謂ビッグデータとAIの活躍で、社会が普通の人間の想像を遥かに超える切り取られ方をしている。ある時は大まかに、そしてある時は微に入り細に穿ってだ。社会の発展に大いに貢献するのだろうが、この先端技術を使う人間の能力と言うよりは想像力が伴わなう必要がある。少なくとも小生ごとき発想力ではとても追いつかない。これからの社会は、能力を持ち合わせない者が数字を弄ぶと、とんでもないことに成りかねない。

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