2021年6月8日火曜日

視覚的インパクト

 新聞購読をやめて久しい。普段パソコンで全国紙(主に日経と朝日)のデジタル版を毎日のように通読するので、特段の不自由はないつもりだ。しかし、デジタル版には見出しに対して視覚的強弱は無い。強いて言えば記事の掲載順番と画像添付に依る差ぐらいだ。紙面で見る大型見出しのインパクトはニュースの重要性は勿論で、記憶にも影響があるだろう。日々のニュースはテレビに依るところが大きくなってると思うが、ニュースが多すぎて記憶に残るものが少ない。

報道各社は毎年々末になると今年の10大ニュースを特集するが、今年はどうなるのだろう?来る日も来る日も同じようなコロナ関連やオリンピック関連報道で明け暮れているように感じるが、なにか重要なことを見落としているような気がし始めた。このことが新聞紙面に接しない欠点といえば欠点かも知れぬ。例えば、昨日の報道にあった「都営地下鉄・浅草線の駅で、日本オリンピック組織委員会(JOC)幹部の50代の男性職員が電車に飛び込み死亡」事件。

昨日テレビでちらっと聞いた気はするが、今朝はすっかり忘れていた。これから報道各社がどのくらい後追いをするか分からないが、なんとなく有耶無耶になりそうな気がする。報道では、はっきり言ってなかったと記憶するが、電車の運転士は「人が飛び込んできた」と自殺を暗示する証言をしてるように言っている。下衆の勘繰りになるが、そんなうまい話はないだろう。明らかに小説や映画にあるように殺人事件だと思う。

52歳で経理責任者だから、この人物での死亡で得する人物を上げるに苦労は要るまい。警察がどこまで踏み込めるかだが、なんと言っても現政権は警察官僚を政権中枢に置く組織だ。ミャンマーやベラルーシの政権と大差がないとも言える。ならば、政権と距離を置くべきマスコミがどこまで頑張れるかだ。しかし、こっちも相当心もとない。政府の代理人と言うか、寄生虫のような電通に象徴される広告会社に人質を取られた格好で、まともなことが言えなくなっている。

朝日新聞なんかは「オリンピックを中止すべき」との社説を掲げたが、その後「社説は社の経営方針とは必ずしも一致するものではない。」と意味不明な声明を発表したりしている。ある言論人は「単なるアリバイ作り」と吐き捨てるように言った。まさに現在の我が国は1941年の夏に似てるように思う。オリンピック開催も対米英宣戦布告も似たようなものだろう。年末の10大ニュースとは関係なく、自分がこの夏を振り返った時に何を思うのだろうか?

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