2020年11月4日水曜日

慌てる理由は何も無い

 タフな爺さん二人が数ヶ月、ひょっとすると1年近くかもしれぬが戦ったアメリカ大統領選の結果を興味深く見ているが、接戦が続き結果は未だ分からない。日本のように候補者の名前が書かれた紙を単純に集計するのと訳が違うのだから時間がかかって当たり前だろうが、1億3千万人以上が投票した投票所は全米で何箇所になるのだろう?そこで作業に当たる人はボランティアも多いようだが何れにしてもご苦労なことだ。

チョット話が変わるが、このところ物事の結果を慌てて求めないようになってきたと思い始めている。気がつくのが遅かったかもしれぬが年齢のせいもあるだろう。「急いては事を仕損じる」の意味が少し分かってきたような気がする。自分ではスタスタ歩いているつもりでも、最近は他人にどんどん追い越される。最初の頃はこのことが凄い気になっていたが、最近は無駄な抵抗はしないようになってきた。

人の性格は三つ子の魂でなかなか治りにくいとされているが、昔からかなり慌て者のおっちょこちょいの悪癖が少し矯正されたとすれば年の功かもしれぬ。悪癖が長く続いてしまった原因を自分なりに分析して思ったことの一つが、常に楽な道を選び、難しい道に挑戦しなかったことだ。典型に学生時代の受験で浪人をしなかったことがある。今にして思うと、学生時代に浪人をすることは決して悪いことではない。

むしろ長い人生で1年や2年浪人して、自分なりの勉強をする期間があったほうがその人のためになるのではと思い始めている(親父は3年浪人したと聞いている)。人は人生の重大局面を他人の投票で決めてもらう人もいるが、大部分の人は分かれ道に来た時、自分自身で進む方向を決めねばならない。振り返って考えると、そのような重大局面に本当にぶつかったのは、既に60歳を過ぎて、4度目の会社を首になった時かもしれぬ。

手持ちの金は100万円だけ、年齢からして就職先も探しあぐねた。妻に今更働きに出てくれとも言えず、本当に参った。結果的には多くの友人の助けがあって小さな個人会社を立ち上げて約10年、これでやっと一息つけて今日がある。数えれば起業以来17年だ。今は年金制度に頼りながら細々暮らしている。例えれば、人気の無い山道を一人トボトボ歩いている感じだが、ここまで来ると、この先がどのような場所になろうと着いた先が目的地だと思えば良いだけのこと。

気がつくのが遅かったかもしれぬが、慌てる理由は何も無い。


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