2020年11月22日日曜日

蒲柳の質

 小学校に入学した時、担任の先生がクラス全員の児童に真っ先にしたテストと言うか調査がいろは48文字を幾つ知っているかだった。このテストで全部読めた子が沢山いたが、半分くらいしか読めなかったことを懐かしく思い出している。言わばスタート地点で少し知恵遅れの気味があったものの、その後の長い人生ではなんの障害にもなっていない。

スタートの遅れは気にすることはないが、終盤に至った今日、余りにも分からないことが多くて戸惑うばかりだ。今ではひらがな・カタカナは勿論アルファベットや簡単な英単語もだいぶ知っている。お陰でテレビを観たりや新聞の掲載記事を読んだりして、世の中の動向はおおよそ知ったつもりでいるが、これが実にいい加減、知ったつもりでいても、よくよく考えると何も分かっていないことが多すぎる。

「あまり気にするな」自分に言い聞かせるが、毎日聞かされる「コロナ禍」関連はまかり間違えば己の健康に直結しかねない。なんとか理解したいと思うが百家争鳴の感があるので、あちこちの意見を聞いてますます頭が混乱してしまう。結局は一番無難な自己防衛にならざるを得ない。外出を極力控え、公共交通機関の利用も控えているが、横浜で独居を続けている義理の母への挨拶だけはせずばなるまい、と悩んでいるところだ。

コロナ禍関連で毎日のように聞きながら意味が分からず引っかかっているキーワードが2件ある。1が「PCR検査」2が「ワクチン」。あれこれ考えているうちに思いついたのが昔のこと。これが「ツベルクリン検査」と「BCG接種」これって少し似ているなぁ、なんて思い始めた。ご同輩の諸氏は思い出されたことだろう。小学校に入学したのが1947年、終戦から2年足らずの時のことだ。

少し前まで父が未だ復員してこなかったので、母の実家で祖母と伯父家族に同居させてもらっていた。伯父は肺結核で自宅療養中だったので、肺結核という疫病については少し理解は出来ていた。学校では毎年1度の割合で全児童にツベルクリン接種が実施されて、毎年陽性反応だったことを記憶している。従ってBCG接種は受けた記憶がない。BCGがワクチンかどうか未だに知らぬが、ツルクリン反応陰性の児童は全員注射され、左腕にその注射跡が生々しい友人が多かった。

最近若いタレントが腕を露出しても、注射跡が見られないのを不思議に思っている。中学に進学して1年目にレントゲン検査で異常が見つかり肺浸潤と診断されて1年間体操の時間は見学、夏休み登山は不参加と決められ辛い思いもした。命じられたのはそれだけで、特に薬を服用した記憶はない。しかし考えてみれば、当時の政府は学童の健康を守ることに懸命だったことが思い出される。そのお陰で子供の頃から蒲柳の質と言われながら、今日があるのだろう。

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