2020年11月19日木曜日

最後が気になる

 放送局まで覚えていないが、今朝観たテレビで中国の認知症介護施設の実態を垣間見た。中国は人口が多いだけに認知症患者も多く、現在推定約1千万人、近い将来に4000万人と予想されているとのこと。ある看護師の女性が日本に留学して、日本の介護施設の実態を知った。この女性が帰国後広州市だったかにオープンしている介護施設のルポが主な報道内容だった。中国政府も介護施設不足の実態を認識しはじめ、様々な手段を打ち始めているようではある。

短い報道だったので詳しいことは分からない。ただ日本との違いを感じたのは、取材先の施設のこと。当然ここでも介護師の不足は深刻、介護師には必要な細かいスキルが様々あって、この習得が大変らしい。そこでこの介護所が行っているのが資格の無い未経験者を積極的に採用して所内で教育訓練を行い、1年ぐらいで資格を取らせていることのようだ。教育費とアルバイト料との関係がよく分からなかったが、それこそウインウインの関係にも見える。しかしこう言った行為は、日本のように業界ごとの細かい規則に拘る国では難しいかもしれぬ。

そんなことより問題は自分自身の認知症問題だ。ある意味ではコロナより深刻で身近な問題かもしれぬ。認知症即ちボケを感じる出来事は殆ど毎日のように起きるが、それが如何に深刻かは自覚できない。独り身の悲哀とも言える。認知症を少し調べようとネットで検索すると、先ず典型的な病名はアルツハイマーで、たしかにこれはよく聞くが、他にも沢山あって引用しきれない。先に中国の患者数1000万人と書いたが、日本も既に5~600万人はいるらしい。近い将来高齢者の5人に1人はそうなる筈との記述もある。

人生100年時代なんてよく言うよ!高齢者とは65歳以上の人のことだ。齢既に80、幼馴染との会話でも、同じ話を何度も聞いたりすることは珍しくもない。勿論こちらも同様だろう。しかしお互いに「お前少しボケてきたな。」なんてことは言わない。隣のお婆さんはお花とお茶の師匠を示す看板が掛かっていた。夕方の散歩を日課にしていて、出会って挨拶を交わすと大変しっかりしてボケているように見えなかった。

でも、昨年だいぶ久しく見なくなったので若奥さんに聞いたら「施設で楽しく暮らしています。」と言われて複雑な思いがしたものだ。ボケ始めても周りで見てる人がいれば気づいてくれるのだろう。父にしても母にしても長兄にしても同じことが言える。また長ずるにつれてのボケは本人には幸せだろう。出来るならば父のように、自宅で若い女性の介護師に身体を拭いてもらっている時ふと旅立つ、なんてできれば最高かもしれない。家内は認知症とは無縁だったが、年末に出先のクリーニング店で突然倒れ、誰にも何も言わず逝った。

今朝観たテレビ番組も正確に思い出せないが、昔のことが毎日のように頭をよぎる。

2 件のコメント:

村松 光 さんのコメント...

こんにちは。ブログを読ませていただきながらコメントもしないで失礼しています。こちらは後期高齢者2名でお互いに「ボケたんじゃない?」なんてけなしたり、慰め合ったり暮らしています。
奥様のように、あっという間に亡くなれたらうらやましいくらいです。もちろん残された方のお悲しみはさぞやと思いますが、奥様は最後のことも思い煩うことなく逝かれてしまいましたね。

senkawa爺 さんのコメント...

村松光さん
いつもありがとうございます。
縁起でもないかもしれませんが、家内の逝き方が本人にも家族にもある意味でベストかも知れませんね。