2019年12月25日水曜日

同じ文書からこの大きな違い

昼飯を食いながらいつも観ているNHK「お昼のニュース」トップだったと思うが、今日公開された外務省1955年の文書の中にあった重光元外相のコメントが賑々しく紹介された。曰く、安倍政権で憲法を踏みにじる形で強行採決された集団的自衛権行使と軌を一にする内容とのことである。へ~と思って帰宅してからネットを丁寧に読むと、次のような内容だ。

先ずダレス米国務長官「日本はアメリカを守ることができるか。例えば、グアムが攻撃された場合はどうか?」
重光外相「自衛が目的でなければならないが、兵力の使用について協議できる。」
ダレス「日本の憲法が許さなければ意味がないと思うが」?
重光「自衛であるかぎり協議できるというのがわれわれの解釈だ。」
ダレス「全く新しい話だ。日本が海外出兵できるとは知らなかった。」

この2つのやり取りを読んだ学者の解説が紹介される。ここが肝心。解説者と内容は以下の通り。日米外交史が専門の日本大学の信夫隆司教授が次のように言う。
「当時の日本の基本的認識では、集団的自衛権は行使できず、自衛隊の海外出兵はできなかった。重光氏は、安保条約改定問題もあり、日米を対等な形に持っていきたいということだったのだろう。重光氏が述べたことは、安倍政権が閣議決定した集団的自衛権行使の限定的容認と同じような主張だったと読み取れる」と指摘しています。

これだけ読むと、安倍政権は日本外交の道筋を踏み外していないような錯覚に陥りかねない。しかしチョット待って頂きたい。同じ文書を読んだ朝日新聞の報道は全く異なる。タイトルは『「帝国最後の外交官」 外交文書が明かす安保改定の裏側』内容を短い引用で汲んで頂くのは難しいが、大意は次の通り。『55年8月30日。来日したダレスとの会談で、重光は強気に要求した。「我々は平等を欲する」』と米軍の撤退を強く迫っているのだ。それに対しダレス氏は極めて冷ややかな対応で、日本が未だ完全に独立してないと指摘。

結局物別れに終わったこの会談の後、改めて策を練った重光氏が8月ワシントンに再び乗り込み再折衝。以下に長くなるが再び引用する。

「重光は、日本が防衛力を強化するので米軍は撤退し、「分担金制度そのものを究極的に廃止することについて、考慮を払うことを希望する」と求めた。ダレスはこれに対して「在日米軍の減少に応じて分担金の削減も考慮する用意がある」と前向きな姿勢を示した。この会談の5年後、60年の日米安保改定で分担金は消滅した。」できれば全文を参照願いたい。

https://digital.asahi.com/articles/ASMDL53PZMDLUTFK00P.html?ref=hiru_mail_topix2_6

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