2019年10月20日日曜日

読後感「官邸官僚」森功著

久しぶりに会った友人が貸してくれた。友人は元キャリア官僚だから興味があったのだと思う。こちらも現役時代に様々な中央官庁に出入りして仕事を貰っていた。当時から比べると今は官庁の名前も変わり、換骨奪胎もあったので今の官僚の有り様も大きく変わっていそうだ。特に現役時代には、官邸なる建物はあったが内閣府なる役所は無かった。本書が指摘するところは、その内閣府に巣食う官僚が政府の動きに大きな影響を与え好き勝手に国益を毀損していることを炙り出している。

興味を持って読ませてもらったが、読むほどに疑問が大きくなった。歴代総理大臣に知り合いはいないが、内閣官房長官には直接面会して陳情に及んだ経験が1回だけある。その前には筆頭秘書官と何度も接触した。知識がその程度なので、現在の行政府トップ内閣総理大臣と内閣府なる役所の構造は想像もつかない。日頃の報道を通して想像するのは、内閣府なる役所が全省庁の中で抜きん出た権限を持ち、それを利用して総理大臣が一強と言われる強大な権限を行使している現実である。

昔役所に出入りしていた時代にも総理府と言う似たような役所はあった。中級以下のプロパーの職員に対し課長級以上は各省庁から出向した役人で構成されていた点は今の内閣府と同じだろう。異なるのは他省庁に対し桁外れな権限など無かったと素人にさえはっきり言える。プロパーの職員と仲が良かったので当時の首相官邸を案内してもらったり、首相の日程表管理などを見せてもらったことがある。

それが本書に詳しく紹介されたように、内閣府の官僚が化け物みたい権限を振るえるのは何故か?大きな疑問でもある。読後感から逸れるが、友人は小沢一郎氏が次官会議を無くしてしまったことが最大の要因だという。そうかも知れぬ、昔から省庁間に若干のランクはあったかも知れぬ。されど次官ともなれ背中に省を背負っているので、そう簡単に他省庁に妥協はできない。チェックアンドバランスが働いたはずだ。当時巷では大蔵省が筆頭官庁のように言われもしたが、旧内務省の自治省官僚からすればたかが金庫番とせせら笑っていた。

この次官会議は全会一致が原則で、ここを通過しないと如何なる案件も閣議に上げられない仕組みがなっていた。これが壊れたものだから内閣の横暴が始まったとする説には説得力がある。読後の感想に話戻して、本書で感心したのは法務官僚が内閣に籠絡され堕落している現状。ちょっと寒気が走った。現在官邸官僚として辣腕を奮っている連中は、経産省や国土交通省、或いは警察庁から来た一昔前で言えば二流以下の人物ばかり。政治家もそうだがトップになりそこねた人物は仕事ができる人間だけに、コンプレックスは恐ろしい結果を生むと思った。

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