2019年10月17日木曜日

神輿とシャッポ

良く言えば「まとまりが良い」かも知れぬが、昔から日本は羊羹型社会と言われてきた。先の大戦直後から半世紀以上、国民が一丸となってに同じ方向に向かって努力をした結果、人口が1億人を超える時代になっても貧富の格差が少ない社会を実現してきた。誰の知恵か知らぬが、終戦直後に少し芽が出かけた共産主義革命の危険はあっさり排除され、民主主義の名目のもと、多数政党が実現して、これも良く言えば互いに切磋琢磨した結果、今日の安定した平和な社会があるのだろう。

終戦直後、世界で最も平和で安全な国と聞かされたスイスと言う国家を夢見た少年からすれば、それは結構なことだったとも言える。ある意味で現在の日本は、困難な状況が続く外国の少年たちから見れば、70数年前に小生が夢見たスイスのように見えるかも知れない。昔、小沢一郎氏が自民党幹事長時代に海部俊樹氏を総理に担いだ時「神輿とシャッポは軽いほうが良い」と嘯いて物議を醸したことがあった。30年も昔の話だからご記憶のある方は少ないだろう。

確かに、国民を纏めていくには能力が高かったり個性的な人間よりは、言っちゃ悪いが少々〇〇のほうが良いのかも知れない。国家という組織が安定するのだろう。似たようなことは昔付き合った官僚からも聞いたことがある。当時の中央官庁は毎年最高学府出身の同じように優秀な新人が10~20人採用されていた。彼らは入省当時からどの役所でも「特権さん」と呼ばれて同じようなコースを歩み、55歳から60歳頃までに差がついてしまう。

入省当時能力に差がなかった集団が30年間程度でどのようにレースが運ばれるかについて複数省庁の中堅の「特権さん」から聞いた言葉が今も印象に残っている。「次官になるのは結局何もしなかった奴よ。」要するに「特権さん」は仕事を懸命にすると結局何処かで傷がつく。日本と言えど人間は多様性があるので、万人を満足させることは出来ない。

社会で大きな仕事すれば、組織内部ではそれなりの反動もあることは覚悟しなければならない。「だから30年以上を無事勤め上げるためには組織内の動向に目配りして、対外的には何もしないのが一番なのさ。」当時官僚の多くは分かっていたが、それでも役目が巡ってくれば、事に臨んで積極果敢に仕事に邁進したのだろう。嘗ての小沢氏の名言と嘗ての官僚が持ち合わせ、今失われているように見える特権としての矜持、この二つが相まって現代日本は見事に纏まり、そして軽い国になった。

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