2019年9月20日金曜日

藪の中

「藪の中」なる言葉がある。長野の田舎での筍狩りや志賀高原の横手山や上信国境の四阿山からの降り道で身の丈を超す藪くぐりをしたことがあるが、藪の中は気をつけていても方向感覚が狂ってしまう。普通は藪の中になんぞ入らぬものだが、大体筍狩りとか道探しのような目的を持って入るので、思い込みが先立ってしまうからだろう。山での遭難もどきは辛うじて脱出できて今がある。

今朝の新聞記事を見て思った「藪の中」を書きたい。

各紙が取り上げている「東電会長ら旧経営陣3人に無罪判決 原発事故で強制起訴」これってどういうことだろうう?事故発生はご承知の通り8年も前の3月のこと。東電の原発が壊れて福島県界隈に甚大な損害を及ぼし、未だに被害が収束していないのはご案内の通り。この事故の責任者として東電の経営トップ3人が槍玉に上がったのは知っている。しかし、この事故の責任を僅か3人に押し付けて済む問題だろうか。

10数年に亘った先の戦争責任を、それこそ数百人か千人のオーダーになったか知らぬが、戦争犯罪者として敵国の裁判に任せて殺した。このことに似ているような気がしてならぬ。今回無罪宣告でホッとしているであろう元東電の最高経営責任者たち。重なって見えるのは、罪は明白だったがある日突然無罪釈放され巣鴨の拘置所からから開放された戦前の満州経営者だった岸信介氏や大蔵大臣の賀屋興宣氏達のこと。

強制起訴とか検察審査会と言う司法の仕組みも難しすぎて理解できない。丁度極東裁判の仕組みを理解できないのと似たようなことだ。日本人が過去の戦争を一向に反省しないように、責任者不在のまま原発そのものに対する反省が行われないのも似たようなことだろう。

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