これが忖度

東京は、昼間の気温では内陸部程には上がらぬようだが、夜は他のどこより気温が高いとのこと。即ち、不夜城の江戸は夜になっても気温が下がらぬらしい。言われて見るとその通りだと思う。昼間余程しっかり汗でもかいておかないと睡眠不足になってしまうとのこと。幸い寝ることだけは得意なので、今のところ睡眠障害の恐れはない。今日も朝から相当に暑かった。冷房の電気代節約の意味もあり、午前中から国会図書館に行ってきた。

読書すべき本は持参したが、ここに来た以上はここでしか読めないものをとの思いで「月刊文藝春秋」1950年8月号を少し読んでみた。朝鮮戦争が始まったばかりで、金日成と李承晩を巡る今後の予想とか面白い読み物が沢山あったが、マスコミ関連で興味深い読み物が巻頭随筆にあったので紹介したい。筆者は池松文雄氏、もちろん知らない人だが当時は毎日新聞社論説委員の肩書で随筆を書いている。

タイトルは「書けなかった特ダネ」昭和16年の秋。近衛内閣が退陣して東条内閣になって暫くしてのこと。いわゆる開戦前夜である。池松氏が地下鉄で銀座から渋谷方面に向かっていた時である。虎ノ門で停車した際、ドアのところに黒い人影があり、ちょっと躊躇した気配を感じて目を上げると背広に大きな風呂敷包みを抱えた紳士が「やあ、暫く」と言って隣に座った。それが山本五十六氏。時の連合艦隊司令長官、供一人付けずに持っているのは明らかに軍服らしい。

池松氏は10年前に海軍省を担当していて、山本氏の自宅には何度も夜討ちした経験がある周知の間柄。山本氏もまさかこんなところで新聞記者に会うとは、一瞬思ったようだ。当時海軍は敵の目を欺くため、東京にわざと水兵を大勢上陸させたりしていた。もちろん山本司令長官の所在は秘中の秘。池松氏としては聞きたいことは山ほどあったが、何も聞かず僅か10分足らず、長官の「身体に気を付けて」が最後で、会ったことは言うなよとも言われず別れてしまった。池松氏も勿論会ったことを誰にも言わなかった。

として山本氏の思い出をいくつか書いている。その一つが山本氏の眼光の話。山本氏のことを「眼光炯々」と評する向きがあるが、私はそう思わない。むしろやや濁った眼で少しうつむき加減にこちらを見ている。他に同じような目つきの人を政治家で一人だけ知っている。とだけ書いている。知らぬ仲ではないので「自宅までお供させてください」と言えなくは無かったが、ひょっとすると家族と最後の夜かもしれぬと黙って別れたのだそうだ。

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