74年目の朝、国民と国家

国際的に終戦と言えるかどうか疑問はあるだろうが、8月15日は昭和天皇が国民に向け肉声で詔勅を発し、ポツダム宣言受諾を明らかにした日であることは今更言うまでもない。今日改めて思うのは幼稚園児であって家にいたので、母たちの受け止めは鮮明であるが、学校でこの放送を聞いたであろう兄二人からこの放送に関して聞いたことがないままであった。いつかは聞いておくべきであったと思うが、今や二人とも幽明境を事にしてしまった。

この大戦の死者は310万人と聞くが、あまり数字が多すぎてピンとこない。各地で行われる慰霊祭では「尊い犠牲」が常套句になっていて、「犬死」とか言えば非難されそうだ。しかし冷静に考えれば「犬死」ではないかもしれぬが、当事者からすれば「なんで俺が、私がここで死ななくてはならないのか」と疑問が有ったろうが答えてくれる人はいない筈。総てはお国のため?でもお国はなにか補償してくれただろうか?

人によっては勲章くらいもらった遺族はいるかも知れぬ。しかしそれが何だ?やはり「無駄死」ではないか。まずはその無念さに思いをして犠牲者の霊に祈りを捧げたい。犠牲者とその家族を思うとそれを強いた責任者の責任を問いたいが、今日はお盆でもあるのでそれは措くことにする。それより犠牲者たちの悲惨さに比べ、現在我が身の豊かさ、安逸さだ。普段どうしても欲ボケであれがしたい、これがしたいと思いがちだが、今朝ふと思った。両親兄弟はじめ先祖を思うとこの欲ボケはバチが当たるだろう。

そもそも無条件降伏した国の男子でありながら、ここまで生きてきただけでも有り難く思うべきで、これ以上の何を望むと言うのか。これからは今まで歩んできた人生に先ず満足して、朝を迎えるようにしたいものだ。齢80近い年寄りの思いをよそに今の世の中、すっかり様変わりしてしまった。ポツダム宣言によって日本は占領されたが、その宣言の第12条は次のように書かれている。

「日本國國民ノ自由ニ表明セル意思ニ從ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ占領軍ハ直ニ日本國ヨリ撤収セラルベシ」

74年ともなれば戦争の匂いすら知らない国民が大多数とは言え、国の指導的立場にある政治家の多くが「平和的傾向ヲ全ク有シナイ」現状を世界がどう見ているか知らぬが、臆病な年寄は怖くてならない。

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