ほとけ心

若い頃は善光寺の門前町長野市内に居住したせいか、4月8日の花まつりはご近所含めて春の訪れを祝う雰囲気があったように記憶する。小中学校の入学式が行われるこの頃は概ね好い陽気としたものだった。ところが今日の東京は小雨に姥桜がしおれ、折角のお釈迦様誕生日に相応しくない寒々とした天気になってしまった。尤も東京で仏教行事と言えば精々春と秋のお彼岸の墓参りが精々で、7月のお盆も余り気にしない家が多そうだ。

我が家も東京には菩提寺が無かったし、家には仏壇も無かった。先祖を思う気持ちが無い訳ではないが、先祖とのコミュニケーションは何故か寺を通さなくてはならないと、おかしな反抗心もあった。これが先に述べた花まつりと関係がある訳で、子供の頃に宗派の関係無しに坊さんの話を沢山聞いて育ったわりお寺との関係は良くない。こう言っては語弊があるかもしれぬが、最近の坊さんは葬式や法事の席で法話を話す人が少ないように思う。

若い坊さんの法話で感心しながら聞いたのは、20数年前に聞いた信州佐久の禅宗の寺だけで、その後数多い機会があったにも拘らず感心したことが1度も無いのは、仏教普及のためにも残念なことだ。かと言って、他宗教と言っても殆どがキリスト教か神道系の葬儀だが、主宰者の法話とは言わず挨拶にしても大同小異。世界に無宗教の地域があるかどうかは知らぬが、宗教による人類救済も道遠しと言えよう。

なんてことより、やはり忙しさを前面に掲げお布施や献金、賽銭をケチるが本音かもしれぬ。もとより宗教心が無い訳ではない。むしろ有り過ぎるほどで、何事によらず神さま仏様頼りの人生であることは度々書いている。家内を亡くして1年以上が過ぎ年齢も八十路近づいた今頃になりやっと、人並みに家に仏壇・位牌を整え、毎朝線香を上げる習慣が身についた。仏壇のご本尊はお釈迦様(仏壇屋の説明では菩提寺の宗派で決まるらしい)とのこと、今朝そのご尊顔を拝み我が眷属の安寧を感謝申し上げ乍ら思ったものだ。今度の週末ネパール旅行の打ち上げで長野に行くので、彼岸にパスした墓参りをしよう。

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