2019年4月7日日曜日

我が生国

5日金曜日の夜、現役時代からずっと親しくしている友人に食事をご馳走になった。会社は違うが同年の入社で、知り合ったのは30歳にならない頃だったような気がする。偶々仕事柄、売り手と買い手で顔を合わせる機会が生じたからだ。今は知らぬが、当時の広告代理店は得意先(所謂スポンサー)を見つけるより、売り物を確保することが大事だったから、立場的には売り手の方が強かった。

共に仕事を熱心にするより遊び好きで気が合ったのかもしれぬ。共にと書いたのは彼には失礼かもしれぬ。未だ交際費が税金から控除の対象になっていた時代、安月給鳥としては交際費で食事を賄えば家計の助けになるだろうとのさもしい根性。彼も几帳面で、こちら1度交際費を使えば必ずお返しの席を設けてくれた。その気分が抜けず、未だに遊び続けている。

金曜日の夜話題になったのが肝心なこと。酔った勢いだったかどうか、変なお国自慢をしてしまった。ところが彼曰く「ところでお前さんの国は幕末にどちら側に就いたのかね?奥羽越列藩同盟に信濃は入っていないよな。」はっと思ったが時すでに遅し。心情的に官軍と言わず薩長同盟軍と思っている口である。我が信濃は列藩同盟側であってほしいが、確かに聞いたことがない。佐久間象山、赤松小三郎、堀直虎のように幕末に暗殺されたリ自決した人物を列挙して、幕府側だったのではとの推論への賛同を求めた。

彼笑って曰く「ならば、なぜ皇軍に攻められなかったのかね?歴史上の経緯は未だに判然としないことが多いよな。敵味方の問題は兎も角、自分でよく調べてみたら。」酒の席故か、彼の人情然らしむか別として直接的な否定はしない。前から諸般の知識で彼に及ぶものでないことは十分に承知していたが、いい齢になって己の生国についてまともに答えられない恥を曝したことは慙愧に堪えない。早速昨日Wikiで調べてみた。

悔しいが、信濃の各藩は皆官軍に味方してる。石高では最大の松代藩も同じこと。特に松代藩は本来外様とされるべき家柄でありながら、徳川家譜代大名並みの特別な処遇を受けていたらしい。歴史はきちんと認識すべきと改めて思う。実はタイトルに生国と書いたが、生まれは奈良県奈良市法蓮町、近鉄奈良駅の近くである。しかし心底は信濃の松代が生国だ。

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