2018年7月5日木曜日

久方ぶりに読後感

昨夜から風雨が強くなったので寝間にしている部屋の雨戸を引いた。雨戸を立てないと築60年のガラス戸がうるさいし、ひょっとすると割れるかもしれぬ。他の部屋にもガラス戸は沢山あって、それらは全てサッシから雨戸までリフォームした。皮肉なことに今回リフォームで唯一触らなかった雨戸である。案の定引くのも格納も一仕事どころか大苦戦だったのが自分でも笑える。何が面白いかと言えば、新設の雨戸は1枚も使わないことが先ず一点。

新しい窓のサッシとガラスはしっかり作られているので、雨戸の必要を感じない。しかし、薄いガラス戸と障子が組み合わさった薄暗い和室の居心地は捨てきれない。夏ともなれば煎餅布団に金太郎さんの腹掛け一枚で育ったのだから仕方あるまい。昨夜も結局半ズボンに作務衣仕様のペラペラのパジャマ一枚で何もかけずに朝まで過ごした。人間て成長しないと言うか変わることが出来ない生き物であることを改めて自覚して笑ったのである。

先日の泌尿器科経過観察で先生が太鼓判を押してくれたせいだろうか、このところ夜中に殆ど起きなくなった。嬉しいことだが理由がよく分からない。暑い日中でも無理に徘徊をして汗をかいているせいかもしれぬ。なんて思ってみたりするが、自分勝手な健康オタクがどこまで通用するものやらである。今日は珍しく涼しかったので徘徊してもたいして汗はかかなかった。明日の寝起きがどうなるかだ。

昨日池袋の本屋で宝田明氏の新著『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同期生』を立ち読みして面白かったので、今日は国会図書館まで足を延ばして氏の談話も掲載されている『私の「戦後70年談話」』岩波書店編集部 (編集)を読んできた。今から三年前の七月四日発行されたもので宝田氏以下先の大戦を経験した41名の談話で構成されている。2015年は安倍総理が戦後70年の談話を発表したり、憲法解釈改憲やら数々のきな臭く汚らしい方向に日本が大きく引っ張られた年でもある。

戦争体験者が年々少なくなるなか、中には野中広務氏のように既に鬼籍に入られた方もいるし、外国籍の方もいる。何れも我が世代からするとほんの数年違いのお兄さんやお姉さんの現在の日本への批判と将来への提言等々。本当に魂の叫びを聞く思いと同時に、戦争を知らぬ馬鹿な政権が舵を取る日本の将来を考え、心底寒気さえ覚えた。

どんな国であれ戦争をしたがる国や国民は無い。戦争は国民の意思を無視する政権が始めるのだ。誰の談話か忘れたが、蓋し名言ではないか。

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