2017年8月27日日曜日

老人の手習い

死に損ないが自慢しても始まらないが、好奇心だけは旺盛な方かもしれない。他人の話をじっくり聞くのが好きで、最近はBSテレビやインターネット放送で、そんな番組を好んでみることが多い。こんな趣味もあまり褒められたことではないかもしれぬが、その結果自分の考えが変わっていくことに満足を覚えているのだ。定見を持たない人間は尊敬に値しないかもしれぬが、頑迷固陋よりは益しだろうと思っている。

今から30年くらい前になるが、パソコンと言う物体を初めて教えてくれたのは当時通産省の官僚で、彼が「テレビは世界に開いた窓で、このパソコンは世界に開くドアです。」と話してくれた。当時は未だ夜な々々酒とバラの日々が忙しく、意味を理解するまでに至らなかったが、不思議にその言葉だけは頭の片隅に引っかかった。しかし人生とは不思議なもので、その時は気にも留めなかったパソコンを、数年後には秋葉原に買いに出かける巡り合わせになってしまった。

きっかけは転職である。新しい職場で誰も相手をしてくれないので、お茶こそ汲んでくれないが、職場の相棒代わりに使ってみては、と思った次第だ。以来20数年、今やその職場さえ無くなってしまったが、本当に良い相棒になってもらったことを実感している。喜寿を超えて猶、好奇心を失わずにいるのはこのパソコンのお陰だ。今はパソコンも過去のものとなり、スマホの時代に入っているのは承知しているが、残念ながら乗り移ることができないでいる。

何れにしてもパソコンのお陰で、我が人生の後半は趣味も性格さえも、言ってみればあらゆる価値観が前半に比べて大いに変わった。極端なことを言えば、今でも大いに変わりつつあるのかもしれぬ。日々に接する情報が増えて学ぶことが多いからである。時々パソコンを全く使わない友人と話すが、昔の大秀才より今の俺の方が・・・なんて内心思うことがある。どっちがハッピーかは別の話だ。

学び関連で最近思っていることは政治家の思考硬直化と勉強不足だ。彼らは支持者を確保することのみに汲々としているので仕方ないのだろうか?偉くなればなるほど他人と話する機会が増えて学びのチャンスに恵まれる筈だが、総理なんかを見ている限り、他人に乏しい己の知識を与えることにのみ専念して、他人から学ぶと言う姿勢が全く感じられない。外国の要人と向かい合うとき、もう少し謙虚に学ぶ姿勢が出れば外交下手の誹りも多少は減るだろうに。

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