2017年8月26日土曜日

読後感「槍ヶ岳黎明・私の大正登山紀行」穂苅三寿雄著

若い頃、一昔前の山岳紀行を好んで読んだことがあるが、今回は久しぶりだ。昔読んだ本は、例えば槙有恒とか尾崎喜八とか田部重治とか深田久弥だったりする。著者の穂苅氏は先に挙げた山岳紀行の著者たちと生きた時代に大差はないだろうが、文章が明らかに一味異なる。これが気に入った。先の一群の作品は、何れも詩情豊かな文学作品で読んでいて面白く気持ち良い。

しかしそれは映画を見ているようなもので、感動して感情移入があったとしても、どうしても他人事だ。ところが本書は違った。先ず文章が非常にぎこちなく、ごつごつしている。読後感として「感動した」とはとても言えないかもしれない。読んで感動するのは文章のうまい下手に関係することがよく分かった。考えてみれば当然だろう、先の4人は文学者であり、尾崎以外は全員東大出身のインテリである。文章が洗練されていない方がおかしい。

それに引き換え著者は地元松本の出身で子供の頃から山好きの冒険家であり、最終的には山小屋のオヤジとなった人でもある。こちらも同じ山好き、小さい頃から山に入る炭焼きとか猟師の話や、少し長じては山小屋のオヤジを聞いては胸を躍らせたものだ。話のうまい下手は関係ない。むしろ朴訥な話し方が妙に臨場感をもって身に迫ってきた。本書を読んで感じるのはそれに似ている。ところどころで合いの手を入れて突っ込みたくなるほどの共感を覚えた。

勿論著者との年齢差はかなりあるし、共感を覚えたからと言っても著者が歩いた時代と現代では山の状況も決定的に異なるだろう。本書で紹介された山とかルートは知っているところも多いが、現在とは全く違っている。先ず、山の呼び名自体からして相当に異なる。著者たちが駆け巡った明治末期、大正時代から比べたら、現代の北アルプスなんて高速道路並みに整備されているように思うかもしれない。

しかし登山道の条件がいかに変わろうと、山歩きをする小生にとって「厳しさは同じなのだ。」と言いたい気持ちが沸々と湧いてくる。天気の悪さに無理をしての失敗、途中下山の悔しさ等々、小生と同じ失敗が随所に出てくるのも嬉しい限り。文中に出てくる人は正に伝説上の人物、ところどころに挿入されているモノクロ写真が素晴らしい。図書館で一気に読み上げた本は久しぶりだ。

0 件のコメント: