「国を」か「国民を」か?

先月21日、満55歳をお迎えになられた皇太子殿下は宮中で記者会見を開かれ、様々な質問に答えられている。当時詳しくは報道されていなかったので、重要なことを知らずにいた。改めて読んでみたので触れておきたい。
参照:http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/9 
遅ればせではあるが、教えてくれたのは高野孟氏のメルマガ(高野孟のTHE JOURNAL   Vol.280   2017.3.6)である。

象徴天皇のあり方への考えを問われた皇太子は、まず結論を次のように述べられている。「象徴天皇については陛下が繰り返し述べられていますように、また、私自身もこれまで何度かお話ししたように、過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。」

昨年8月の天皇陛下のお気持ち発言を受けて、政府は「陛下の公務軽減を図る」と尤もらしい言を弄しながら、先に引用した皇太子殿下の発言とは真逆な策を図る動きとなっている。昨今大分明らかになりつつある政府の日本会議的な動きは、戦前大きな過ちを招いた天皇陛下の政治利用である。天皇陛下は勿論その動きを心から心配されていることだろう。皇太子殿下も続いて次のように述べられている。

「国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましいあり方を求め続けるということが大切であると思います。<中略>ふだんの公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが、そうした機会を通じ、直接国民と接することの大切さを実感しております。」

普通の人は普段あまり考えないだろうが「国を思う」とはどんなことだろうか?少なくとも日章旗にやたらに頭を下げたり、君が代を斉唱する機会を増やせば良いということではあるまい。要するに庶民にとって考えてみれば、日々の糧を追うのに精一杯だから、国のことなんか思う機会が少ない方がハッピーではなかろうか。しかし国指導的立場にある人々には常に「国のこと」を思ってもらわねばならない。

「国のこと」とは国民のことであり、それも恵まれない立場にある人をできるだけ沢山見出さねばならない。天皇陛下は国事行為以外のいわゆる「公務」を通じて国民に直接触れて苦楽を共にすることに「象徴」たる意味がある、と強く意識されていることがよく分かる。一方、政府の大官諸氏が思う「国のこと」は果たしてなんであろうか?相当にピントがずれているとしか思えない。

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