季節の変わり目

昨日は、これまで政府の悪口ばかり言い募ってことに少し嫌気がさした。たまには自分を見つめなおして別のことを書きたいと思ったが、結局できなかった。この歳になって己を見つめなおしたところでどうにもなるものではないか。ブログとは果たしてなんだろうか?日記でもないし、随筆と言った文学的なものでもない。最近では毎日100人を超える方に読んで頂けていると承知しているので、自分の信ずるところに従って、多少は世のためなることを願って知ったかぶりを書き連ねている。

従って読まれた方のお役に立つことがあれば、それが一番うれしいことである。
先月の17日「政府の強弁とマスコミの対応」と題して「今回の森友学園問題も事件にはならずに終わる可能性無きにしもだ。」と書いた。あれから丁度1か月、森友学園問題は予想外の展開になり、結構な政治問題化して事件らしくなってきた。このブログも些かこの展開に貢献していると思いたい。問題がどう着地するか分からないが、現政権の驕慢さと官僚の無責任さに一石を投ずることにはなるだろう。

しかしこれからの日本を考えると、もっと大きな問題が残る。政治家・官僚・ジャーナリストだけの問題ではない。日本人全員の知的水準、適切な言葉が見つからないが教養とか知性とでも言うべきものの劣化だ。外国事情に疎いので比較できないのが辛いところだが、20年前くらいまでだったろうか、いい大人が通勤電車でマンガ本を広げているのが話題になった時期がある。今時は少なくなった代わりに、子供から相当な爺婆までがスマホに熱中している。世界中どこに行っても同じだとすれば、我が国の事情だけを嘆いてはいけないかもしれぬ。

どこに原因を求め、何を矯正すれば、他国から見直されるような国になるのだろうか?森友学園ではないが、問題の一端が教育にもあるのは間違いないだろう。でもどこをどうすりゃいいのか全く分からない。教育は大人の問題であることは確かだ。どの大人から着手すべきか?漢字を読めない大臣を辞めさせれば済む問題でもなさそうだ。パソコンとインターネットの普及にも大分問題はあるだろう。でもこういった技術の進歩を逆行させることは出来ない。

悩ましい問題と考えていたら、たまたまこれから図書館に返却しに行こうと思った本(講談社文芸文庫 三木清教養論集 大澤聡・編)の<あとがき>に大きなヒントが書いてあった。「政治的教養があらゆる教養の基礎となることによって教養は大衆性を得るのである。」政治的偏見を書き散らすのも、あながち無駄とは限らないようだ。

やっと春めいてきた。久し振りに明日から小旅行に出かけよう。西秩父と思ったが、今日の明日では山は無理、潮風を求めて焼津に行くことにした。

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