脳の稼働領域

誰かが言ったそうだが「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とは全くよく言ったものだ。毎日は単調に流れ過ぎてゆくが、後期高齢者ともなれば、世の中が相当変わっているのは当たり前なんだろう。この期に及んで尚、流れに掉さすようなことばかり書き散らすのは顰蹙ものだが、高齢者の手慰みと大目に見てもらいたい。

昔で言えば隠居の身分で、終日ボーとして過ごしているのが相場だろう。そうして段々にボケて、幸せな年寄りらしくなっていくとしたものだ。ところが気が付かないうちに大変化を遂げた情報機器の変化で、年寄りの生活はが大きく変わってしまった。順番に挙げれば、先ずはテレビの発達が何といっても大きいだろう。視覚聴覚同時に刺激することによるインパクトはラジオとはかなりの違いだ。今は言われなくなったが「茶の間が映画館になった」実感はある。

子供の頃に映画館に行く楽しみは大きかったが、その中にニュース映画を観る楽しみがあった。その楽しみが現在に至っては、毎日途切れることなく続いているわけである。このことはボケ防止になると、効用を大きく取り上げる向きもあろう。脳に新しい刺激を与え続けることは医学的にも望ましいかもしれない。しかしこんなことも程度問題で、一定の年齢までは有効であっても、ある時点からは無用或いは有害と断定する医者が出てもいいと思ったりもする。

その上にかぶさって出てきたのがコンピュータとインターネットなる代物。どちらが先か分からないが、コンピュータなる言葉には情報処理機能と端末機器と、異なる意味がありそうだが、意味が分からないのでごちゃ混ぜに使っている。兎に角日々耄碌した頭に注ぎ込まれる情報量の凄さは、子供の頃見たお年寄りが今生きていらしたら、拷問に等しいのではなかろうか。今更ながら人間の脳みそが、キャパシティーの1割も使われていないとの説が分かる気がする。

可動域が仮に1割だから2倍にしてもまだ余裕はたっぷり、だからと言って開発をどこまで推し進めれば満足するのだろう?端末機器の主流はパソコンをさらに小型化したスマホなるものに移り変わりつつある。幸か不幸か、この流れに完全に乗り遅れたので、やっと歴史の流れの一つに区切りがついた。目まぐるしく変わる世界の情勢に関心を抱き続ける己の姿を不思議に感じざるを得ない。

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