保守主義者

政府は来年の秋11月3日を中心に明治150年行事を大々的に行い、あわよくば文化の日を昔の明治節のようなものに戻したいと考えているようだ。このことに象徴されているのが政府の復古主義であることは間違いない。個人の趣味においての復古主義を頭から非難するつもりはないが、趣味の延長で国を挙げて復古調を強調することになると、些か話が異なる。断固反対をしたい。

歴史は現在から過去を見るものであって、過去から現在を見てはいけないらしい。政府の態度はこの理念からすると、明らかに間違っている。「古き良き時代」と唱えることは気分的な或いは雰囲気的なもので、生産的意味がほとんどない。人に譬えて言うならば、都会における戦いの生活に敗れ、傷つき、疲れて絶望したような人間が自分の故郷に還っていくのと同じこと。歴史を学ぶことは大切だろうが、そこに逃げ込んでも現実から逃避することが出来ないばかりか、現在直面している問題の打破には全く繋がらない。

前段に記したことは、数日前にも紹介した三木清氏の著作からの受け売りだが、成程ねと思った次第である。我が父も「私は超保守主義者だ」と常々と言っていたし、自由と民主を掲げる保守主義政党があるので、保守主義に対しては敢えて異を唱えるつもりはない。己自身も子や孫から見れば相当保守的かもしれぬ。しかし保守主義を少し右に振ると右翼と言い換えられる。すると急に<やくざ>みたいイメージとなって普通でない人に思えてしまう。政治家には右翼はいないと信じたいが、好んで右翼を標榜したがる政治家もいる。

典型が日本会議所属議員だ。日本会議がどうして大きな政治団体になったか理由も道理も分からないが、自民党議員の半数以上がここに所属しているとは驚くべきことだ。現在騒ぎになっている森友学園の籠池氏も大阪での幹部だったらしい。彼の言動を見れば、復古主義が如何に下らぬものかは一目瞭然だ。どうしても古いものを有り難がり、現状を少しでも良くするために新しい発想をもって当たることが不得手に見えてくる。

与党には宗教団体を背景にした公明党もいるが、公明党が異を唱えないところを見ると日本会議は宗教団体ではないのだろう。維新なんて古めかしい言葉を冠した政党もあるが、我が国の保守政党が何れもが、胡散臭い復古調を有り難がるのは考え直した方がいいだろう。


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