2016年3月8日火曜日

低俗すぎる

なでしこジャパンがオリンピックへの出場権を獲得できなかったのは残念だが、昨日の対ベトナム戦では大量得点で勝利したようだ。マスコミは残酷で、今日は引退する選手や監督について軽く触れるだけで、勝利した試合結果や今後への期待についてはどこでも殆ど報道しない。引き換えに、世界卓球選手権で男女とも現メダルを獲得して健闘したチームメンバーが帰国したことを、お祭り騒ぎで煽っている。

紙面・時間が限られているとは言え、もう少し何とかならぬものかと思わぬでもない。さもないと読者・視聴者である我々自身が、常に目前にある束の間の現象に一喜一憂する癖がついてしまうのではと心配になるのだ。マスコミ社会では、常時配信・発信する情報を大局的見地から統括しているのは編集長とか編成局長だろう。ところが、この職にある人がどんな体制で以てするにせよ、どこまで責任を持って自社の情報を管理できるかは甚だ疑問である。

ありていに言えば紙面なり時間が豊富過ぎるのである。資源が豊富過ぎて有難味が薄れ、逆に質が低下する典型かもしれぬ。テレビで言えば、同じニュースの繰り返しにうんざりしている方が多い筈。解説者を置いた情報番組と称する似たような番組が幾つかあるが、これとて大同小異で、社会事情の深堀には程遠い。新聞にしても同じことだ。分厚い印刷物として朝夕配達される新聞の内容が希薄なこと、広告の間にニュースが埋め込まれている感でテレビ報道と大差がない。

ニュース以外は文化とか教養と称するもので時間と空間が埋められることになるが、これまた酷いの一語に尽きる。先日同期のスキー会で友人が言っていた。「外国人は日本のテレビを観て、グルメ番組の多さにびっくりするらしい。」尤もだと思う。普段何を食っているか知らないが、馬鹿面したタレントが何を食っても「美味しい」を連発する下らなさ。同じようなタレントが下らぬ知識を競い合うクイズ番組、この手も似たようなもの多いが、情報を出す局側の知恵の浅さを感じて鼻白むばかり。

老人の常で過去をあげつらうことになって恐縮だが、ラジオ時代からテレビの創成期にかけての「話の泉」「20の扉」等の企画者や出演者に改めて敬意を表したくなる。何れにせよ、現代のテレビ番組はどの局でも下請けプロダクション頼りだから独自の企画なんか出にくいのは当然で、プロダクション側の制作陣に際立った人材が集まるような社会構造には残念ながらなっていない。新聞の場合は、下請け制度が無い筈なのでましかと思うが、政治部なんかで実際に現場にいるのは何故か若い記者ばかりだ。

教育が必要だと言うことは分かるが、先輩記者はどこまで指導しているのだろう?記事を書かなくなった記者は、後輩の指導より官僚や政治家とつるんで個人的に甘い汁を吸っている、なんてことは無いことを祈る気持ちだ。メディアによって国民が啓発されるより、メディアが一億総白痴化を推進している感も否定できない。政府が意図してメディアにプレッシャーを掛けずとも、メディアが進んで政府の希望通りに動いてはいないか?

これも昨日から大々的に報道されているが、田母神氏の事務所に特捜のがさ入れがあったそうだ。こんな事どうでもいいじゃないか。甘利氏はどうなったのかね。

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