2016年3月5日土曜日

床屋の風景

春めいた陽気に誘われて、少しさっぱりしようかと行きつけの床屋に入った。昼少し前で丁度午前中の客が一段落したのだろう。最初は他に客がいなかったが、暫くしてやけに声が大きい爺さんが入ってきた。この店は同世代の老夫婦と息子さんの3人が理髪師で、椅子も3脚用意されている。その真ん中の椅子に座って、主人がこちらのおつむをバリカンで刈りはじめた時である。入ってきた老人も多分古い馴染みなんだろう。

奥で待機していた息子さんが飛び出してきて、丁重に隣の椅子に案内した。そこに座る前に、件の客が「ご主人にお土産」と言って紙筒を息子さんに手渡した。「ご主人に」と言われてしまっては仕方ないだろう、バリカンを持つ手を止めてそちらに向き合わざるを得ない。こちらも別に急ぐ身でもないから、どうでもいいが、この客人にいらざる興味を持って、それからずっと彼の話聞いていた。

土産に持参した紙筒には江戸風景を描いた浮世絵の印刷物2枚が入っていた。床屋の主も「紙筒は持ち帰るので開けて見ろ。」と言われて、仕方なさそうにちらっと見るまで付き合ったが、流石に直ぐこちらの作業に取り掛かってくれた。この店の主は風景写真が趣味で、自分の作品を4点を額に入れて店に飾り、毎月更新している。今月は既に華やかな桜や桃の木の風景に代わっていた。客の方もその習慣を知らない筈はない。

しかし客の方は押し付けるように主にその印刷物を渡し、椅子に座って散髪を始めてから延々と自分の好意(行為?)について話し始めた。曰く「この絵は30年ほど前にシカゴで求めたもので、1枚10ドルしたものだ。円に換算すれば3600円だ。(1ドル360円なら1850年のプラザ合意以前だから30年よりもっと昔のことだ)だから紙も印刷も当時の日本のものより遥かに優れている。」

ご主人は絵がお好きなようだし、サイズが店の額に合いそうなので持参したとのこと。客人は昔会社の偉い人だったのだろう、どうやらバス停で二つ三つ離れたところにお住いのようだ。近くに住む娘さんが面倒見ているらしいが一人住まいで、趣味の読書と翻訳でお過ごしと推察した。現在91歳で、今日は杖もつかずにバスに乗ってここまで来たらしい。中に時々英語が混ざるのがご愛嬌で、アメリカでも中産階級が無くなりつつあるなんて高尚なことも話している。同じ話を何度も繰り返してくれたので、小一時間黙って聞いて、客人のキャリアや生活が偲ばれて面白かった。

待合ベンチにも客がいなくて相客はこちらだけ、店の主は有難迷惑と感じているのは見え見えだが、手を動かしながら上手く話を合わせている。長閑な春の一時だったが、親切の押し売りも如何と思う一方、91歳ともなれば大抵のことは許されるだろうな。俺は果たしてそこまで生きるだろうか?との思いもあった。

0 件のコメント: