2016年1月23日土曜日

一流国の心算でいたが

現役で働いていた30代半ばから約20年間、仕事の関係から霞が関の中央官庁に出入りして、いわゆる高級官僚と付き合う機会が多くあった。殆どが東大とか京大出身で、世間では優秀とされる彼等にはそれなりの自負もあった。勿論利口な彼等だから、自分のことについては他人より頭が良いとか利口だと言った馬鹿なそぶりは見せない。しかし口を揃えて言うことに次の台詞がある。「我が役所は日本最大のシンクタンクで、必要とする最新情報が常に手元にあるのだ。」故に判断を誤らないことを言外に誇る訳である。

当時は成程と思い、さもありなんと納得していたものだ。ところが最近になって疑問を感じ始めている。中央官庁とは国家の方針を左右する意思決定機関のようなものだ。だがこれは単体でなく、複数の機関に分かれて、安全保障問題は防衛省でとか社会福祉問題は厚労省でとなるのは衆知のことだ。1億人を超える人口で、これだけ複雑な社会になれば当然である。従って、中央官庁の官僚が言う<必要な情報>が、日本国にとって必要なのか、彼の属する官庁にとって必要なのかが曖昧になってくる。

彼等にすれば、我が省庁=日本だから疑問は沸かないのだろう。当時から省庁間の壁は厚く、国益を無視した省益争いについて聞いてはいた。現在それがどう変化しているかは定かでない。内閣機能が強化されたことで壁が低くなっていれば結構なことではある。しかし、省庁間の壁を低くして情報の共有がどの程度進んでいるかを思うと、甚だ心許ない。

マイナンバー制度から想像するに、機能の一つとして所轄を超えて国民の出納チェックをして1円のへそくりも許さぬシステムを構築しつつあるようにも報道されるが、果たしてどうだろうか。入りについては預貯金・株・保険、支払いは税金・医療費・社会福祉料金だけでも絡む省庁は複雑である。しかしこっちについてはコストと時間さえ掛ければ何とか解決できる筈だ。問題はそんなチマチマした話ではなくて、もっと大きな政策決定に関してである。

今度の国会審議を聞いて思うのだが、経済政策・農業政策・社会福祉政策等々どれをとっても1省庁の発想だけでは片付かない問題を包含している。制度的には毎週次官会議もあり、閣議もあって省庁間の連絡が密に諮られる建前にはなっているが、これが形骸化しているのも周知のこと。例えばイランの経済制裁解除で、我が国の経済界もイランへのアプローチを早速再開と報じられると、如何にも速い動きのように思うが、国際的には出遅れも甚だしいらしい。

経産省の意思決定が速いとか遅いではなく、国家としての意思決定が常に遅れると決まっている。これは安全保障でも同じことで、国家として情報を一元化できていないのだから的確な意思決定なんか出る筈もない。情報を一元化するために必要なことは、組織を出来るだけ簡素化することが第一だと思うが、現在行われているのはその真逆で、国家安全保障会議(NSC)なんて鷺か烏か分からぬものはその典型だろう。

こうして今や、官僚組織内に次々に高級官僚の天下りポストが出来つつあるらしい。経済的に大国の座を滑り落ちたのは仕方ないにしても、国の形そのものが二流三流となるとは情けない。

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