2016年1月18日月曜日

大学受験の年

暖冬とは言え、今朝の東京は珍しく気温が-1℃で雪が積もった。深夜から続いた降雪が8時頃から雨に変わったので、余計始末が悪い。踝くらいまでの積雪に水を撒いているような状態で、歩きにくいこと夥しい。今日は終日ゴム長靴を履いて歩いたが、長靴を持っていたことを忘れていたほど久し振りのことだ。道路も公共交通機関も大混乱、勤め人は遅刻者続出だったことだろう。月曜日とのこともあって迷惑した会社も多かったろうが、センター試験のあった週末でなかったことを、受験生の孫を持つ身としてせめての救いと思うことにする。

ところでテレビで視聴者インタビューを折節に観てると、最近の子供たちは小学生から中学生に至るまで、自分の将来像について驚くほどしっかりしているように見える。優秀な返事をした生徒を選んでいるのかもしれぬが、自分と比較したり子や孫のことを思ったりすると、どうすればこんなに明確に意思表示が出来るのかと感じることがしばしばである。これが高校生から大学生になるとどうなるかである。

自分の過去を考えると、大学卒業間際まで社会と言うものをまともに考えたことのが無かったと白状せざるを得ない。下宿時代に新聞など読んでいた記憶も無い。小生が昭和30年代半ばの学生としては異端であり、学生運動が盛り上がっていた時代だから、一般的に捉えれば現代以上に若い人の政治への関心は高かったのかもしれぬ。人間は自分の経験を意識の最大の拠り所にするので、己との比較に於いて、現代の学生の政治意識は相当高いと思うし、18歳での選挙権付与は大いに賛成する。

そこで思うのだが、今年の正月受験勉強で忙しいからと、会うことが叶わなかった我が孫も今年18歳になるそうだ。暫く会っていないので分からないが、彼が社会事情をどの程度認識しているのだろうか。現代は新聞なんか読まなくてもテレビもあるし、スマホでネットからも相当な情報を得ているだろう。少なくとも小生が若い頃と比較すれば、自分が直接目にした世界より遥かに多くの知識を意識に詰め込んでいることだろうが、それが果たしてどの程度の水準にあるかを直接聞いてみたいものだ。

彼がどのように考えているか知らぬが、内心では「二十歳前に自分の人生なんか考えても無意味では?どうせ夢みたいこと思ってもその通りになんか行きっこない」と思っているが、あまり褒められる考えではないようだ。

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