2013年8月18日日曜日

読後感「鏡花随筆集」吉田 昌志 (編集)

久しく活字に触れていなかったが、書店を覗いても食欲をそそる本がなかなか見つからない。何気なく岩波文庫の新刊にあったこれを買ってしまった。泉鏡花について知っていることと言えば「高野聖」の作者である事くらいのものである。「高野聖」もおぼろげに内容を記憶するのみで、特別な印象を持っている訳でもない。たまには明治の作家の日常に触れてみるのも良いか、と思っただけのことである。

昭和でさえ遠くなっているので仕方無いだろうが、明治とか大正時代の何と遠いことか。随筆と言えば平易な言葉遣いとしたもの、我が祖父さん祖母さんが使っていた日本語の筈である。しかも鏡花は夏目漱石や芥川龍之介のようなインテリ学士様ではない。高等小学校卒業後に金沢のミッション・スクール北陸英和学校に一旦進学したようではあるが、ここも中退して18歳で上京、尾崎紅葉を訪ねて住み込みの書生となっている。

しかし書かれた文を読み解くのは容易でない。下手な翻訳本以上に末尾に添付されている(注)を参照しながらでないと前に進めない。尤も明治大正時代の人が現代の随筆に接すれば、訳の分からぬカタカナ言葉で同じことになるのかもしれぬが。仕立てが年代順になっていないので、頭の方で大正12年(1923年)9月1日の関東大震災に絡む随筆が何本か出てくる。年齢的には既に50歳、既に番長に家を構え作家としての地位も確立している。

この時の描写を現代の311大震災と比べると、面白いと言っては語弊があろうが、自然災害に対する人間の考え方(言わば諦観であろうか)の相違を強く感じる。全体を通して思うのは、昔の作家は殆どそうであったのかもしれぬが、
文章が悉く韻を踏むような、調子又はリズムを持っていることだろう。ではあるが、使われている言葉は厳選されているのか、決まり文句とは少し異なるような気がする。

この辺のことは現代の作家が大いに学ぶべきことなのかもしれない。言葉や文字を大切にすることは、師匠の尾崎紅葉氏譲りらしい。印刷所の活字職が判読できないような字を書くことを厳に戒められたと書いている。近年悪筆を自慢するような作家がいると聞くが、これを読めば何と言うだろうか?


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