2013年6月10日月曜日

価値観外交

株価の上下に一喜一憂する内閣の姿は、国家中枢のピントが外れているのを見る思いで情けないことではあるが、それと同じか或いは以上に奇異に感じるのが外交姿勢である。日本が自給自足できる国でないことはもとより明らかで、外交が政府の重要な仕事であるのも勿論のことである。その基本姿勢に最近「価値観外交」がしきりに言われる。

どんな意味なのかウィキペディアで調べると、我が国の外務省が次のように定義している。「普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)に基づく外交。つまり、こうした価値観を持つ国々や人々との連携・協調を推し進め、また支援し、広めようとする外交方針である。」元々はアメリカで提唱されたものの受け売りのようだから、属国日本の政府としては無批判に受け入れたのかもしれない。

その結果、中国と前政権以上にぎくしゃくした関係に陥ってしまっている。その間に本家のアメリカが宗旨を変えたのかどうか、この週末には中国と親密な関係を演出している。宗旨替えの連絡は当然事前にはなされまい。属国日本の誇りからか、政府関係者からマスコミに登場する知識人の殆どが「日米同盟は不滅です」てなことで、不安を紛らわしているのは滑稽ですらある。
正に外交こそは国の根幹に関わることであれば、小なりと言えど独立国日本として、それこそ骨太の方針を持たねばなるまい。

現在の日米同盟をやみくもにけなそうとも思わないが、これを半ば永遠の拠り所として良いかは別問題の筈。つい半世紀前までの政治家は、敗戦の結果繋がれたこの重い軛を断ち切ることに政治生命を賭けて取り組んだはずである。現総理の祖父にあたる岸信介氏でさえ、日米安保の不平等を無くすために、結果は別にして必死の努力をしている。その志を知ってか知らずか、孫の総理が「日本には米軍の基地があるのですから、日米関係は揺るぎようがない。」と胸を張られたのでは、岸氏も浮かばれないだろう。

そもそ外交に於いて「同じ価値観を持つ」国だけと付き合うなんてこともおかしいし、自国の価値観を他国に押し付けるなんてとんでもない心得違いだろう。個人的に考えても、お付合いを願う多くの友人がいるが、同じ価値観を有する友人ばかりなんてことは先ずありえない。強いて言えば同じ組織に属するやくざ同士であれば或いは、と思わないでもないが、それでも互いに独立した人格であれば、なかなかそうはいかないであろう。第一、移民国家のアメリカと我が国では、自由や法の支配には大きな差異があるのも明らかではないか。

極端なことを言えば同じ価値観の国なんて一つも存在しないと思う方が自然な筈で、異なる価値観の人間と上手く付き合えるのが大人の証拠だ。米中会談の中身を詳しく知りたいと言われても、大人の話を子供に聞かせる訳にいかず、アメリカも苦笑いをしているのか。

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