2013年3月31日日曜日

花見をすれば景気が良くなるのか?

桜が咲いているのに真冬のような寒い日になってしまった。却って花の寿命が1日2日長持ちすることになるだろう。大学を卒業して以来50年、曲がりなりにも事務所を構えて机上にパソコンを置き、毎日自宅から通いパソコンに戯れる。過去1年は収入が無くなったとはいえ、今日まで現役のビジネスマンの真似事が出来たことは我ながら驚かざるを得ない。

改めて思うことは時代に恵まれたの一言に尽きる。今日も通り抜けてきたのだが、書店には如何にも素人向けに思える経済関係の本が沢山並んでいる。曰く、「今の時代をどう見るか」「これから景気はどうなるか」「デフレを克服すには」等々。そして必ず物色している客も立っているのが面白い。今にして思うと、小生その手の本を何冊か買ってしまったのが悔やまれる。ところが何故か今日に限って、目から鱗が落ちた感じがした。

何冊読んでも理解できない経済のこと、理解しようと思ったのが間違いだった。複雑に人間が絡み合う中で生じるお金のやり取り、こんなものに法則なんかある訳がないと最初から決めておけば悩まずに済んだろうに。例えあるにしても、それが自分の経済活動にあてはまるかどうか、本を読んで会社の経営や仕事に成功するなら、誰も苦労は要らない。著者には済まないが、半分は競馬の予想屋と同じじゃないか。中には成功した人が体験をベースにして書いている本もある。それを参考にして成功する人がいたら、著者は困るのではないだろうか。

恐らく今後はこの手の本を手にすることはないだろう。洒落のつもりでビジネス経験を少し書いてみる気になった。半世紀前に入社した会社は今でも立派に存在している広告会社である。入社25年で退社したので、退社以来また25年経った勘定になる。正確ではないかもしれぬが、退職した頃がピークで、現在は人数的にも恐らく半分くらいに縮小していると思う。それでも生きているだけましで、広告業界も激しく変わり、現役時代に隆々たる勢いだったライバル会社も沢山消滅している。

メディアの側も同様で、最大最強であった新聞はテレビに抜かれ、そのテレビも収益性に於いて昔年の面影は無さそうだ。雑誌も勿論例外には非ず、発行部数も広告も縮小している筈。代わりにパソコンや携帯端末の普及で新しいメディアが登場して、新しい宣伝広告スタイルが誕生しているのも事実。しかし、その産業に吸収された人口と、旧メディアの没落で職を失った人口を比較すると、推測の域を出ないが後者の方が多いのではないだろうか。

我々の世代を支えてくれたスポンサー業界を思っても随分な様変わりである。自動車はそれでも健闘しているが、国内市場では大した利益が出ないと仄聞した記憶がある。新聞テレビの広告スペースは変わらなくても、小父さんには意味不明のゲームはまだしも、パチンコからサラ金ではなくローンか、訳の分からぬ広告が大手を振っている。経験から判断する限り、日本国内ではもう大きな需要を喚起するようなものは無いようである。

おまけに既に人口が減っていく一方であるのも歴然たる事実。国民の多くがお腹一杯なら、無理して景気を良くする必要がどこにあるのだろう?第一、何をしても需要が無いのだから、国内景気が良くなる筈がなかろう。実体のない経済活動から遊離したバブルを発生させたり、払いたくない税金を無理に集めて、不要な工事をして人工的構造物を増やせば、それだけメンテが必要となって労働者の吸収が出来るような理論には全くついて行けない。国内はデフレでも茹で蛙でもいいではないか。若い人は外国に行って稼ぐことを真剣に考えればいい。

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