2012年12月4日火曜日

師走の反省

月捲りのカレンダーも最後のページになってしまった。何もしていないのに時の速さは増す一方である。我が人生もこれから先どのような道筋になるのか、考えるだに恐ろしい。では考えなければいいじゃないかと思うのだが、そう思うことが既に考えている証拠だ。子供の頃から遊ぶことだけは得意で友達も沢山いた。今では昔のように「遊ぼうよ。」と声を掛けてくれる友達も極めて少なくなった。

先週には、社会に出てから親しくさせてもらい、仕事を離れてお付き合いを続けさせて頂いた方のご遺族から喪中挨拶を頂いて愕然とした方が二人もいた。年を重ねれば当然のことで、何れはこちらに順番が回るのだろう。一昨日の早朝NHKの「演芸図鑑」の中で『死ぬなら今だ』との落語をしていた。朝っぱらから縁起でもないなと思ったが、話自体は結構明るいのでほっとしたところだ。

後期高齢者になるまで残すところ2年半、先日も元気な高校同期生が集まっておだを上げたが、殆どが80歳までは生きるつもりでいるらしい。勿論生きたい気持ちは同じだが、何をするためか、どのように日々を過ごすかと考えると、答えが見つからないで困ってしまう。ここまで書いてその数日前大学同期会の話を思い出したので、話を大きく飛ばす。

一人の友人が言った「今の学生の考えが我々と異なるのは仕方がない。」曰く「我々の時代は卒業して就職さえ決まれば、その後の全人生をその企業に預けて生涯を全うできると考えたものだ。しかし現代はそうはいかない。例え今超一流とされる企業であってもいつ潰れるか、或いはリストラされるか分かったものじゃない。」トヨタやパナソニック、都市銀行に電力会社、言われてみると成程と思うところがある。ここから先、我々と比較して何れがハッピーかについて少し議論が分かれた。

学生に限らず今の若い人たちは、かなり若い時から将来を真剣に考えている節がある。我々のように昨日の延長に明日があると単純に考えずに、行く末の可能性とか不確実性を教えらずとも感覚的に分かっているのではないだろうか。当然ながら結果的に明日とか将来を自分で考える力もついてくるだろうし、チャレンジ精神が旺盛になるかもしれない。

若い人を可哀そうだとか、困ったものだと言う前に己を反省した方が良さそうだと話が落ち着いて大笑いだった。この年の瀬に、これから如何に生きるべきかみたい寝言を書き始めて、この会話を思い出し反省しきりである。

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