2012年8月19日日曜日

読後感「日本はなぜ開戦に踏み切ったか 両論併記と非決定」森山優 著

今まで著者の名前は知らなかった。静岡大学で教鞭をとっておられるようだが、歴史学者だから、かなり真面目に開戦の意思決定が誰によってどのように行われたかを解きほぐしている。ここで言う開戦とは勿論1940年12月8日の対米英欄に対する戦争、今は太平洋戦争と呼ばれている戦争である。念のため言えば、対支那(中国)とは1937年から既に戦争状態に入っている。

何も知らずに常識的に考えれば、一国と戦争している時にさらに三か国に対して戦争を仕掛けるなんて正気の沙汰ではなかろう。しかし当時の日本が取っていた大陸政策に対する国際世論の圧力からすると、現代の政治家でも自存自衛のために不可避の選択だったと言う人間までいるくらいのものだ。この辺については本書と関係が無いので措くとしよう。

本書はその対日圧力から逃れる道を模索していくうちに、開戦に踏み切らざるを得なかった明治憲法下における当時の意思決定プロセスを丁寧に分析している。意思決定には現代とはかなり異なる多くの組織(と人間)が関与している。
主なところを上げるとトップが決定的に現代と異なり、天皇である。その下に輔弼の任を負っているのが内閣、統帥部が存在する。大雑把に言ってしまえばその通りだが、他に輔弼の任を負っている内大臣がいたり、諮詢の任を負う枢密院なんてものもあるが省略する。

分かり難いのは天皇直属統帥部(陸海軍の戦闘作戦立案セクション)と内閣の一員である陸海軍省だろう。同じ体から二つの頭を出す化け物のようだ。何れにしても戦前の軍部は至る所に顔を出している(大蔵大臣まで海軍の軍人であったこともある)。そして今となると、戦争をやりたがったのはやれ陸軍だとか、いや海軍だとか、個人的には誰それが一番いけないみたいことが言われる。
ところが、本書を読む限り、特定の人間が開戦に向け意思決定を誘導したとは言い難い。

特にアメリカを相手に戦争をして勝てると思っていた人間はいなかったようにも思える。外務省等内閣の当事者だけでなく、意思決定に重大な影響を及ぼした統帥部海軍に於いてさえ三年戦いが長引けば必敗は常識だった。内閣は陸海軍も含め非戦に向け最大の努力をしたのだろう。しかし幸か不幸か最終意思決定者ではない故に、自分(の属する組織)のせいで当時考えられたじり貧の選択をするのを皆が避けた結果がじり貧以上の惨めな結果をもたらしたことがよく理解できた。

この書では触れていないが、恐らく当事者以外の人間はマスコミを含め威勢のいい事ばかり言っていたに違いない。戦後占領軍の指導もあって、軍部は解体されたし、内閣の責任も明文化はされた。しかし縦割りの悪しき官僚制度が温存されている。時あたかも領土問題が騒然として来ている。国益をお題目に威勢のいいこと言う人間を持ち上げる危険性を少しは冷静に考えるべきだろう。

2 件のコメント:

Don Koba さんのコメント...

アメリカの対日戦争は、日本の大正時代から計画されていたらしい。真珠湾攻撃を待っていたかのように、北米、南米の日系人を一斉に強制収容し、諜報活動を差し押さえてしまった。その半年前には、米政府は、日系企業の資産凍結、戦争遂行資材の対日輸出禁止、主要貿易ルートであったパナマ運河の通行禁止措置等、日本による南方進出を不可避にさせていた。それ以前、日本はソ連の南下を恐れ、朝鮮を支配下におき、満州国を傀儡国家として建国し、国際的非難で国際連盟を脱退してしまった。孤立化した日本がドイツ、イタリアと手を組み、戦争国家への方向を摂った。
猪瀬直樹の「昭和16年の敗戦」(中公新書)では、真珠湾攻撃の1年前、政府は30歳前後の若きエリート30数名(軍人、官僚、商社、銀行)を全国から招集し、模擬内閣の役割を割り振り、日米がもし開戦したらどうなるかを徹底討論させた。その結論は、開戦当初こそ一気に勝ち進むものの、拡大した補給線を維持できず総力戦に敗れる。さらに終戦間際にはソ連も参戦するだろうと実に正確な予測だった。東條はそれを聞いていたそうだ。
シュミレーション

senkawa爺 さんのコメント...

Don Kobaさん
いつもありがとうございます。
今でもそうですが、我が日本人は中長期計画の策定と活用が不得意ですね。
目先も大事かもしれませんが、どうしても100か0かの結果を求めがちになります。
現役時代の研修で、経営にも中長期計画が必要なこと、そしてこれを毎年見直していくことの重要性を習いました。
3年先5年先から現代を見つめることの必要性を何人の政治家が理解できているかと心配です。