2012年8月15日水曜日

終戦の日

また8月15日が巡ってきた。戦後生まれが圧倒的多数になった現代社会で、「終戦」の意味するところの受け止めは様々だろう。正直な話、米英に対する宣戦布告の前年生まれの小生でさえその意味をよく理解していない。「ポツダム宣言」受諾によって、それまで戦っていた連合国側に対して無条件降伏を受け入れたものとぼんやり思っていたに過ぎない。

連合国側と書いたが、日本が敵として戦った相手国が果たして何か国になるのかも知らない。イメージ的にはドイツ・イタリア・スペイン以外の全世界を相手に戦っていたような印象が無いでもないが、まさかそんなこともあるまい。少なくとも、父が復員後少し話してくれたことから、インドやオランダも敵であったことは想像していたし、韓国や台湾は日本の一部であったことぐらいは知っている。

改めて考えるに、肝心の「ポツダム宣言」だが、これは連合国軍によって出された宣言ではない。米英と中国(蒋介石政権)の首脳がドイツのどこかに集まり、日本への降伏を促したものだ。後でソ連も参加して4か国連名となっている。しかし、この宣言の受諾で、世界中で戦っていた日本は休止状態になったのだから、日本は連合国側の総意と受け止めたのだろう。不幸にして、こちらが武器を置けば戦が終わるとの思い込みが間違いであった。

この宣言を無条件で受け入れているのだから、台湾や韓半島が日本領土でなくなるのは仕方がない。しかし台湾や朝鮮を敵として戦った訳でないのだから、勝ったの負けたのとは少し意味が違うと思う。世界の歴史を知らないので分からないだけかもしれない。台湾や朝鮮は日本の植民地だったのだろうか?これも少し違うような気がするのだが、分かっているにの教えてもらいたい。

現在の中国についても同じこと。戦時下で中国共産党と戦をしたのは事実であろうが、1945年8月当時、現在の中華人民共和国なんて国自体存在すらしていない。台湾は兎も角として中国、韓国、北朝鮮あたりから戦時賠償だとかなんだとか因縁をつけられ、昨日今日なんぞ韓国大統領から天皇陛下にまでとんでもない難癖を付けられている。何れも歴史を詳しく紐解けば、それなりの理屈は着くのかもしれない。

何れにしても訳が分からない事が沢山あるが、アメリカの実効支配を受けている日本について言えるのは、国としての纏まりの欠如だろう。纏まりとはオリンピック選手たちがチームで見せたものとは少し違う。1億数千万人が一つの方向を向いて突っ走る事なんかあり得ない。個人個人が発揮する力の方向は千差万別であっても、国を考える時個人が共通して思う筈の何かだ。

いろいろ考えてみて、平凡ながら「責任感」ではないかと思うに至った。「責任感の欠如」これは戦後に始まった事ではなさそうだ。戦を始めるに時、終結する時も同じだが、大正昭和の時代から国家の大事に際する意思決定の間違いについて責任を取った政治家何人いただろうか?その伝統引き継いだ現代の政治家が勘違いするのも無理はない。で済ませていいものではないのだが。

6 件のコメント:

TAK さんのコメント...

戦争の犠牲者が急激に増加したのは戦争末期、勝敗が決していたのになぜもっと早く戦争を終結出来なかったか?・・・を今晩7:30からNHKスペシャルでやる。

もっと早く止めていたらうちのお父さんは生きていたのに・・・私たちもこんなに苦労しなかったのに・・・・遺族の恨みは尽きない。

senkawa爺 さんのコメント...

TAKさん
いつもありがとうございます。
それにしてもきつい暑さです。
お元気でしょうか、私は些かグロッキーで、最近読書も捗りません。たまたま開戦への経緯を書いた本をぽつぽつ読んでいまして、いろんなことを考えます。

一つは、当時本当に国家的見地から米英と戦うべきかを検討した人間が一人もいないことです。すべて己が所属する組織の利害優先で国家の大事について判断を誤っています。

その結果が敗戦です。しかも終結の仕方もご粗末です。戦後軍人は何人か腹を切ったりしていますが、政治家で自決したのは近衛文麿くらいではないでしょうか。

今の政治を見ても、似たようなことが多すぎると思って書きました。

Don Koba さんのコメント...

戦争責任は誰に?天皇、軍部、官僚、国民?最も意見が分かれるポイントで、現在の政界、官界、マスコミ等の責任意識の問題にも関係しているようだというご指摘には全く同意見です。
終戦の決断が遅れたおかげで原爆投下というメチャクチャ大きな代償を払わされた国民。国運を賭けたはずの大戦争に対する最終意思決定者とその責任者が不明であったことが大きな原因だったと言われます。思えば、満州侵略を始めた陸軍(関東軍)の独走をコントロールするはずの意思決定者がいなかったことで、結局、第二次大戦にまでずるずると突入してしまった訳です。。天皇の股肱と自認していた肝心の軍部も陸軍と海軍のライバル意識が強く、ましてや国民の命を思う判断等は、望むべくもなかったと言えます。無残な敗戦は、一体誰の責任だったのか?
この責任者不在現象は、最近の原発事故の際にも現れたし、現在、我々が直面している多くの国民的課題でも、似たような状況が見られます。
日本が持っている、最終的な責任不在という現象は、実は伝統的な「政治システム」の中に根源的な原因があるという指摘を、80年代末にウオルフレンが「日本/権力構造の謎」(早川書房、1990年)の中で実に見事に分析されています。

tak さんのコメント...

成程!
岡本行夫さんも言っていたが、日本人は戦争を総括していない。これが問題の根源だと。
しかし総括しようとすれば安倍はじめ右翼陣営がさせないだろう。
いまだに聖戦だと思っているのだから。

senkawa爺 さんのコメント...

Don Kobaさん takさん
いつもありがとうございます。 
同期生がこのような意見交換するのは、不肖私の糧にもなり有難い事です。お二人の影響で今日先日のNHKスペシャルを観ました。
恐れ多いですが、天皇の存在故に誰もが確たる意思を以て、国に対する責任を摂ろうとしないと言えませんか?

Don Koba さんのコメント...

終戦後、天皇がマッカーサーを個人的に訪問した際、「自分の身はいかになろうとも、国民に代わって自分が戦争責任を負う」と発言しマを感動させたとマの回顧録で書いてあるそうです。しかし、時が経ち、当時、通訳で同行した人物の回顧録に、その時、天皇の口から責任という言葉は一切出なかったとのこと。将に「藪の中」。
明治欽定憲法で、「天皇は君臨すれど、統治せず」となっていたので、天皇は政治問題への干渉は回避したと、昭和天皇自身述べています。当時、天皇に直接意見具申できた組織は、枢密院、軍部、首相等で、皆、自己の正当性を主張したため、さぞや天皇も判断に迷ったと想像できます。当の天皇自身も、国民の総意を反映するシステムの一部ではなかったことから、判断基準そのものもなかったはず。天皇が政治の表面に出たのは、2.26事件の時だけとも言われています。