2012年1月31日火曜日

聖徳太子伝説

この世に生を受け70年、随分長い月日であり時間だ。記憶は茫々と霞んでいるが、すっかり風景が変わっている事だけは実感している。先日テレビBS歴史館で「聖徳太子の謎」を見た。聖徳太子の実像が我々の理解と異なる可能性が多分にあるとの内容だが、その事はどうでもいい。仮に8世紀に入ってから伝説によって誕生した人物であろうと、7世紀に17か条の憲法が制定され、隋の煬帝に国使が送られた事実は厳然と存在する。

当時の天皇家と取り巻く豪族を政治家とすれば、彼らに仕える官僚たちも相当いて、その官僚の服務規定が17か条憲法との事である。天皇豪族も官僚たちも権力闘争に明け暮れ、賂と暗殺が流行る殺伐たる時代との印象が深い。しかしこの憲法に書かれている事は、非常に開明、常識的で現代社会でも十分通用するところが多い。しいて問題があるとすれば、仏教を敬うことを強調しすぎているところだろうか。

これとて現代のインチキ宗教のように特定の個人崇拝や、教団への寄付を強請するものとは根本的に異なる。勝手な解釈をすれば、むしろ教養を身に着けるために勉強する事の奨励と受け止めたい。何と言っても憲法自体が外来(中国)語で表記されている。一方で人切庖丁を振り回していても、外国語を読み下せないような無学者は、官僚にすらなれなかったに違いない。

70年の人生を振り返り景色がすっかり変わったと書いたが、国の統治は1400年昔と比べてどの程度変わっているのだろう。7世紀国家の態を成し始めた我が国は近隣に互いに角付き合っている百済、新羅、高句麗の3国が控え、その裏に超大国隋が存在していた。天皇家も割拠する豪族もどこが出自か分からぬが、一応土着と考えよう。

これら土着の人間がどのように学んだか知りたいところだが、兎も角国家の形成に思いが至ったのは素晴らしい事ではないか。その象徴が遣隋使であり、17か条憲法と理解する。特に遣隋使は外交の大ヒットで、隣のややこしい3か国と適当に付き合いながら、頭越しに超大国と国交を結んでしまったのは正に偉業だろう。

やった人間が誰か、彼が実在したかどうかより、歴史に残る事実を深く噛みしめたい。教養も礼も徳の片鱗だに覗えない統治者の馬鹿騒ぎが当分続くのだろう。

2 件のコメント:

DonKoba さんのコメント...

遣隋使、遣唐使と海外文物を輸入して日本に適合するように作り変えてきた日本人の器用さ。儒教を導入し、次いで仏教(初めは阿弥陀信仰、次は禅宗)を普及させた。その後、キリスト教の宣教師が来た。初めてザビエルが日本で布教を始めて気が付いたことは、日本人がやたら中国人を尊敬していたので、先ずは中国からキリスト教を布教して、その後に日本を攻略した方が簡単だと理解したとか。新井白石が江戸時代、イタリア人の宣教師シドッチを尋問して書き上げた「西洋紀聞」でもそのことに言及。我々は器用貧乏なのですかね。イスラム教徒の頑固さにも舌を巻くけど。

senkawa爺 さんのコメント...

DonKobaさん
コメントをありがとうございます。
我が国はずっと中国の属国で来たようなものですね。
それがいつの間にか宗主国に向かって弓を引いたのですから大したものです。
いつの日かアメリカをやっつける日が来るのを願ってやみません。(笑)