2012年1月12日木曜日

火の気が無くても暖かい、有難いが…

前世紀前半生まれの小生にとっては、それこそ想像だに出来なかった便利なものに取り囲まれる生活になっている。物心ついた頃にはラジオが床の間に鎮座ましましていたし、夜は電燈の灯りに頼ることは出来た。とは言ってもラジオは雑音が酷くて聞き取るのが困難だったし、夜の部屋は赤茶けた電燈の灯りでほの暗く、停電も頻繁だった。冬は寒いと決まっていた。

こんな事を書きだしたのは寒さのせいだ。今年は東京に雪こそ降らないが、例年になく寒いように思う。テレビの気象報道を見ていてもそのように言っているので、年のせいばかりではないだろう。そこで有難いと思うのが、室内や外出した時の交通機関の暖房だ。昭和20年代の普通の家庭での薪炭費が幾らくらいで、家計の何割を占めていたかは全く分からない。

長野に住んでいたせいもあるが、経費は兎も角、どこの家庭でも冬の始まりには炭と薪をできるだけ沢山買わざるを得なかったろう。小学校同級生に結構裕福な薪炭屋の息子もいたし、大学時代でも薪炭屋の子弟は、どこから来た生徒でも家は裕福に思えた。現代の薪炭屋は電力会社とガス会社か、裕福さに於いては昔の薪炭屋の比ではない。しかし家計支出で見れば昔とどのくらい違うのだろう?どうでもいい思いがふとよぎる。

調べてみると平成22年度の家計調査で、消費支出全世帯平均が月額約30万円、対して光熱水道費で約2万円だそうだ。水道費も馬鹿にならないから光熱は更に7掛けくらいとすれば家計の5%。昔もそんなものかなあ。とすれば灯りや燃料の他に実に様々な利器を与えられているものだ。アラビアンナイトで盗賊シンドバットが唱えた「開けゴマ」なんて呪文は、今やお伽噺にもならない。

ありがたや、ありがたやだが、その電力会社の大事故は昨年とんでもない災厄をもたらした。卑近な話をすると、今週我が会社のパートナーの家で小火騒ぎがあった。一人住まいで使用した事のない電気コンロから、留守中に火が出たらしい。事務所から飛んで帰って警察、消防、電力会社立ち合いの現場検証やら保険請求のための更なる検証やらで3日ほど仕事にならなかった。

婆さんに言わせると「オール電化の台所なんてものは使い勝手が悪いうえに、火の気が見えないので、年寄りには却って危険」と断然敬遠している。帰宅してすぐ温かい風呂に入れるのは有難いし、諸々電気・ガス屋さんには感謝しなきゃいけないのだろう。しかし、若い時代に山小屋に居て、薪わりとストーブや風呂の窯焚きが得意だった事を思い出した。あの頃窯口で毎日見つめた炎が懐かしい。

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