2012年1月5日木曜日

読後感「父 山本五十六」山本義正 著

元連合艦隊司令長官、軍人でもあり高級官僚とも言える。旧日本海軍で開戦の真珠湾攻撃から陣頭指揮を執り、戦いの半ば(開戦後約1年半)の昭和18年4月、南方にて戦死は余りにも有名。生年月日が同じ4月4日と言うこともあり、幼い頃から憧れにも似た気持ちで伝記も何回か読んでいる。今年の正月には半藤一利氏が書いた伝記をベースにした映画も上映されているようだが、これはまだ見ていない。本書は実子の長男が書いた父の思い出である。、山本五十六氏の人間像が浮かび上がってくる。

当然ながら実子から見ても五十六氏は正に大和の武士であると同時に優しい父でもあった。むしろ、著者については今まで全く知らなかったので興味深い点がある。戦前の事だから現代のように裕福ではないだろうが、それでも海軍高官の子息である。父五十六氏も自分のように優秀になってほしいと心中思っていたに違いない。公私のけじめが厳しい限られた時間を割いて、遊びの相手や勉強の相談など子供には優しく接していた。家庭教師もつけたり通う学校を考えて引っ越しまでしている。しかし父が願ったように著者が育ったとは思えない。但し、技術者の道を歩みながらも海軍にも従軍し戦後は東大を卒業して立派なエンジニアになられたようだ。

当時の大人の大部分がそうであったように、家庭内で仕事の事は言わなかったのだろう。著者は父の国家観については当然ながら何も語らない。英米滞在経験が長い五十六氏が国力の差も十分理解し、戦争を望んでいた筈はないだろうし、いったん開戦すれば負ける事も予想の範囲であったとは思う。しかし彼が自分一人でなく国家国民を悲劇に巻き込まざるを得なかったのは何故だろう?

今回もそうだが氏の伝記を読んでいつも思うのはその事だ。浅はかな結論かも知れないが、それが軍人の悲しさかもしれない。身体頑健、頭脳明晰、博覧強記、知識横溢、分析力最高、国家に対する責任感は誰にも負けない。当時の軍官僚は現代の財務省以上、内務官僚と並んで官僚の頂点に位置していた筈。問題は最後の責任感にあると思う。国家とはと言った時、現代の感覚であれば国家国民となるのだろうが、当時の軍人さんは国家天皇或いは天皇国家となったとしか思えない。

前後構わず国家と書いたが、国家の比重は極めて低く、いざと言うとき死んでお詫びをしなければならないのは天皇だったのではないか。戦時中天皇は神であろうとなかろうと、国民の頂点に位置していたし、海軍の頂点も天皇であった。当時の軍人の意識とすれば、日本又は天皇の軍隊の一員であれば、組織の構成員としては上御一人に対してのみ責任を取るべしと自覚するのが自然であったに違いない。

周辺の一般市民も同様に考えていた事も伺える。五十六氏の姉は彼の戦死が公表された時「いい死に場所を与えて頂きありがとうございます。」と言ったらしい。五十六氏の一族が、父方も母方も維新の際幕藩の逆賊と言う辛い立場にありながら、それを乗り越えるために並々ならぬ苦労で精神が鍛えられたとは言え、格好良すぎて現代的にはとても理解不能だろう。しかし当時の日本人は皆似たように言わなければならなかったに違いない。

今の北朝鮮と同じことだ。国家に対する責任感など露程も見えない現代日本の政治家や国民(自分のことを言っているだけで、スポーツをする若い人が世界のひのき舞台で戦うときは別ですよ)を思うと、間違った国家観であっても国家に対する責任感があるべきなのか、不必要なのか。民主主義国家では、市民は権利だけ付与され、義務や責任は無いのかも。小冊子程度の本を読んで思いは複雑だ。



4 件のコメント:

マニャーナ さんのコメント...

始めまして
大分前ですが阿川弘之著山本五十六を読みました
初版は山本家の反対を受け
出回っている書は阿川氏が二度目に書いたと聞いています
感銘を受けた書でした
当事の日本とアメリカの力の差を知る無言の苦悩がおいたましい

senkawa爺 さんのコメント...

マニャーナ さん
コメントをありがとうございます。
阿川さんの書かれたものに私も感動を受けた一人です。

>初版は山本家の反対を受け
>出回っている書は阿川氏が二度目に書いたと聞いています

この事は初めて知りました。どこが引っ掛ったのでしょうか。

しかし考えてみますと、母方の家系も会津藩で、越後の山本家や生家の高野家同様、戊辰戦争で敗戦の極めて厳しい現実を経験している事を今回初めて知りました。
その上に五十六氏の戦死と昭和の大敗戦ですから、遺族としては相当神経質であったとしても不思議はありません。

DonKoba さんのコメント...

アメリカ駐在武官としてアメリカの経済力、軍事力は十分把握しており、戦えば必ず負けると分析していた男がなぜ先陣を切ったのか。あるいは、切らざるを得なかったのか。なぜ、天皇の前で、2年間は暴れて見せますと言ったのか、なぜ、中止すべきだと進言できなかったのか。当時の日本にあった空気がそうさせたのか。なぜ、天皇は中止できなかったのか。そして、戦争末期に至って、多大な犠牲を出しても、戦争終結を実現できなかったのか。多くの謎を後世の我々に残していますよね。戦争を直接知らないで生きてきた我々の世代にとり、真実を知りたいところですよね。

senkawa爺 さんのコメント...

DonKoba さん
今年もよろしくお願いします。
天皇は勿論そうだったのでしょうが、輔弼の任にある人たちも個人的にはみな優秀でいい人だったと思います。(現代の政治家高級官僚とは質的に大分違うのではないでしょうか)

貴兄が提示された疑問は私も基本的には同じです。

愚考しますに、組織としての意思決定をする際、組織メンバーの質が余りに揃いすぎると、既定路線から外れた意思を述べたり、決定するのが難しくなる事はあると思います。

現代日本のように余り優秀でもなく、歴史もろくに理解しない連中が、好き勝手にワーワー言ってる方が国民全体からすると安全かもしれません。