2010年10月20日水曜日

日本語の難しさ

日本語しか読み書き話しが出来ないので、せめてこの唯一の言葉を正しく使えるようにと念じながら、日記を週に5回は書くように努めている。しかし全くの自己流なので、果たしてまともな日本語になっているかどうか、全く自信はない。生まれた時から日本語をしゃべり、読み書きも一応は学校で学び、毎日のように文字は読んでいる。当然ながら話しをしていても、文章を書いても日本語が間違ったと気付く事は少ない。

しかし「これで正しいのだろうか?」と漠然とした不安感、或いは違和感のようなもの常に感じている。何故なら、最近プロのアナウサーの言葉遣いに引っかかる事が余りにも多いからである。そろそろ平成時代に日本語を身につけた世代が活躍し出しているので、昭和以前に存在して過去の遺物と化した文物事象について、知らないのだから仕方あるまいと言ってしまえばそれまでだ。我々だって明治以前使用されていた日本語を正しく理解して使えるか、と問われれば「できません」と答えざるをえない。

むしろ考えたいのは、古い言葉より平易な言葉の使い方だ。ここに日本語の難しさがある。例えば我が家で「また言っている」と話題になる言葉に「ご苦労さまでした」がある。婆さんは「目上の人の向かって使うのは失礼だ。『お疲れさまでした』が正しい。」と言うのだ。どっちも同じじゃないかと思うのだが、「お疲れさま」と「御苦労さま」は同じ意味でも、後者はなんとなく上から目線だとの事。こんな事で言い争っても仕方ないので、「ああ、また言ってるね。」で済んでいるのだが、こんな類は挙げだすときりが無い。

もう一つの例は、最近はやりの言葉で「粛々と」がある。「英語に訳すとなんて訳すか教えてくれ」との事。勿論即答は致しかねるので翌日まで待ってもらった。自宅に遺書も辞書はあるのだが、最近は何でもインターネットに依存している。翌日YAHOOの辞書で検索した結果が下記である。
「◇粛々と|〔静かに〕silently; 〔厳かに〕solemnly 葬列は粛々と町を進んだ The funeral procession moved along the street in solemnly.◇」これで諸外国の方々に意味が通じるのかなぁ。

通じると思えば通じるし、政治家の話は言語明瞭にして意味不明が当たり前とされている。霞が関の作文は官僚が読み解くと、官僚に極めて都合よく解釈できると言われている。テレビで若い人が歌う歌は下に字がでなければ何を言っているか分からないし、テレビコマーシャルに至っては言っている言葉が分かっても何の宣伝か分からない事が多いようだ。時たま小生にも意味が分からない横文字のCMがある。原始的な生活をモットーにしている婆さんに分からないのは無理もない。

新しい言葉に美しさが欠けている事も気になる事だ。日本語は語彙が豊富なので、使い方によっては非常に理知的な印象を与える優れた言語だと思うのだが、自分を棚上げして言えば、大人の言葉遣いも粗野になる一方だし。景気がどんなに悪くなっても日本が溶けてなくなる事は無いと思うが、日本語が無くなってしまえば、日本と言う国家が溶解してしまうのと同じではないだろうか。日本語が難しすぎるせいか、公用語を英語にする会社が出現している。英語の汎用性は認めるにしても、日本語をもう少し大事にしてほしいものだ。

2 件のコメント:

kiona さんのコメント...

ブリティッシュやアメリカンやオーストレイリアンと拡散する英語に比べて、日本語はこの小さな島国で使われるだけなのに、方言があったり、意外に幅があるのは意外な気がします。

また言語というものに、どれだけ 「パーソナライズ」 が許されるかという観点から見ると、意外に大きく許されている気がします。

お婆さんが、古めかしい言葉遣いをしたとして、それを可愛いと感じることがある。 それを後世に残すことが正しい日本語のあり方なのかどうかはわかりませんが、自分の話し方、書き方にもいつのまにか身についたクセがあるのも事実で、これを矯正することが正しいのかどうかという疑問もあります。

爺さんの話し方、書き方にも同様のクセがあって、同じ日本語なのに自分にはできない言い回しがあり、それを真似ることも意味がないと思われ、言葉というのは想像以上にパーソナライズの余地をものだということが再認識できるのです。

方言についても同様に、高度成長期にあった 「標準語」 というコンセプトは今、下向きの親指ではないか。

美しい日本語というとき、それは 「標準化」 という意味に捉えられがちで、それでいいのだと思いますが、これを 「パーソナライズ」 の拡張として捉えるとどうでしょう。 日本語の奥深いライブラリーから普段使わないけど素敵な単語や言い回しを再発掘してゆく。 それがその言葉を使う人の個性となる。 これは楽しいことだと思いますがどうでしょう。

押しつけられる 「正しい日本語」 「美しい日本語」 は文部省指導と同じく定着しない机上の空論で終わることが多い気がします。 しかしそれを、あんな言葉遣いをするバカ、 あるいはそんな言葉遣いができる素敵な人、そのように捉え直してはじめて本当の日本語の見直しができる気がします。 キーワードは 「パーソナライズ」 です^ ^

senkawa爺 さんのコメント...

KIONAさん
いつもコメントをありがとうございます。
さすが言葉の専門家だけに観察が鋭いと感心しました。
拝読すると正にご指摘の通りです。日本語は標準化よりパーソナライズ、味わいがあります。