2010年7月29日木曜日

読後感「遊びをせんとや生まれけむ」久世光彦 著

著者は元TBSのドラマプロデューサーで有名な人。「時間ですよ」等多くのテレビドラマをヒットさせただけでなく、作家としても数々の賞を受賞している才人である事は予てから聞いていた。著書を読む事を勧められた事もあるが、ただなんとなく今まで1冊も読んだ事が無かった。今回一読して改めて文学的才能に敬意を感じた。

5歳年上だがほぼ同じ世代なので、10代20代の時代背景、社会風俗がよく理解できるし、著者と同じ感慨を持って振り返る事が出来る。又著者の仕事場がテレビ局の制作現場で、小生の仕事から比較的近い関係にあった事も共感を覚える一因でもあろう。

テレビドラマなんかは特にそうであろうが、自分自身が面白くなければ、他人が見て面白いものなんか作れる筈が無い。多分この信念を貫いて生きた人なんだろうと思う。非常に幅の広い交友関係を持つ一方で、相当な量の書物、映画や演劇などの演芸を自ら吸収して豊富な知識を有した上で、そのエッセンスを吐き出すように書いている感じもある。それが文学的才能と言うものだろう

残念ではあるが著者は06年に亡くなっている。70歳か71歳だろう。人生を「遊び」の一言で括っているが、著者にとっての遊びは、いつも真剣で全力投球であったに違いない。小生の友人にも何人か似たようなタイプの人がいるが、えてして短命なように思う。こう言った人は長生きなんて事は夢にも考えず、只管今日を最大に楽しんでいるのだから、「わが人生に悔いは無し」と言う事に違いない。長生きを念じて汲々としている身からすると男らしくて立派なものだ。

余談になるが、自分が生きた世代を後でふり返ると「成程」と思う詩が最後の方で引用されていた。その1節が下記だが同感である。

望み叶って幸せになったら
すぐに昔が恋しくなるだろう
あんなに素晴らしく
不幸だった昔が

3 件のコメント:

kiona さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
kiona さんのコメント...

久世光彦さんについてはドラマは見たことがありますが、あまり詳しくは知りません。 しかしその最後の一節は自分もすごく共感できると同時に、ある好きな曲に似ているように思います。

"愛はすべてを赦す" という加藤登紀子さんのアルバムがあります。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000IJ7KY2?ie=UTF8&tag=kiona-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B000IJ7KY2

この11曲目に "私が何を望んでもいいとしたら" という曲があるのですが、1931年ドイツのFriedrich Hollaender作詞・作曲による曲で、映画 「愛の嵐」 にも使われています。

登紀子さんはアルバムでこれを日本語に訳し、坂本龍一のピアノで歌っています。


”Wenn ich mir was wunschen durfte”

Man hat uns nicht gefragt, als wir noch kein Gesicht
Ob wir leben wollten oder lieber nicht
Jetzt gehe ich allein, durch eine große Stadt,
Und ich weiß nicht, ob sie mich lieb hat
Ich schaue in die Stuben durch Tür und Fensterglas,
und ich warte und ich warte auf etwas

Wenn ich mir was wünschen dürfte
Käm ich in Verlegenheit,
Was ich mir denn wünschen sollte,
Eine schlimme oder gute Zeit

Wenn ich mir was wünschen dürfte
Möchte ich etwas glücklich sein
Denn wenn ich gar zu glücklich wär'
Hätt' ich Heimweh nach dem Traurigsein


「私が何を望んでもいいとしたら」 (加藤登紀子 訳)

何が欲しいのと聞かれたら困るわ
何を望めばいいの? 幸せ 不幸せ

いつか幸せが訪れたとしても
悲しい日々をきっと懐かしむに決まってる

あなたの悩みなんて
取るに足りない
大げさなだけよ

望みが美しいのは
それが満たされぬうちだけなのよ

生まれてくるときも聞いてくれなかった
生まれてみたいのか
それとも やめたいか

一人 都会の中 歩いているときも
誰も尋ねはしない
都会が好きかどうか

部屋の灯りを見る
ドア越しに ガラス窓越しに
私は待っているの
ただ待ち続けてるの
何かを


詞にもメロディにもデカダンが香り、映画はナチスドイツ時代の純愛を描いたもの。 そういうものから最も遠そうなテレビ人、あるいは爺さんからこういうフレーズが聞けるとは意外でした。 意外なりに普遍的な何かがそこにはあるのかもしれません。

(コメントが著作件に触れそうな場合は削除してください^ ^)

senkawa爺 さんのコメント...

KIONAさん
いつもコメントをありがとうございます。
又この度は丁寧な補足をありがとうございます。
久世さんは今にして思うと日本が一番退廃的だった時代に、少年から青年に成長した年代の人ですから、より敏感なセンスを持っていたのでしょう。彼の随筆は一読の価値がありますよ。