2010年7月21日水曜日

北アルプス縦走 針ノ木岳~岩小屋沢岳 7月18日


早朝未だ真っ暗と言うのに部屋の中が騒がしい。隣のおじさんは横浜から来たカメラ好き、朝飯は頼まず何処かでご来光の写真を撮りたいとは聞いていた。その向こうの20歳前半の青年2人は名古屋から電力会社の社員、昨日雪渓で転倒して顔を岩にぶつけて歯を折ったらしい。そのため新越方面に向かうのを諦め雪渓を下山するかもと聞いていた。と言いながら夕飯は小生よりしっかり食っていたし、昨夜寝る直前に「やはり、明日早朝蓮華岳には行っておきたい。」みたい事を言っていた。その向こうは3人は明らかに関西人で、女性1人部屋に残し男性2人は昨日蓮華岳は行って来た筈。

何故かこちら側の1列、小生を除いて全員がもそもそしている。お陰で目を覚ましてしまった、どうやら4時少し前らしい。そのうちに向こう側7人のうち3人程も起き出したようだ。どこに行くのかもの好きだと、自分の事は棚に上げて思ったりするがもう寝つけない。部屋から人間が徐々に出て行って薄明るくなってくる。残っていた夫婦が起き出して、窓から外を見て最初は「星が綺麗」とか言っていたが、そのうち「槍がどうとかこうとか」言い始めた。流石にタヌキ寝入りを続けられなくなって起き出して外を見た。薄明に小生にも分かる槍ヶ岳のシルエットがくっきりと浮かびがっている。又最高の天気になりそうだ。イッチョマエにカメラを持って外に出る事にする。

元来山に来る人間はもの好きが多いから当たり前だが、小屋の外は大型のカメラを構えた人が大勢だ。中には目の良い人がいて「富士が見える」と教えてくれるが小生にはまだ見えない。小屋には日の出が4時38分と書いてあったが、その時刻になっても東の山が高いのでご来光という雰囲気にはならない。その代わり、反対側の山々ははっきりと姿を現し始める。西から南に薬師、剣、立山、槍等らしい。更にその奥には雲海の彼方に南アルプス、富士、八のシルエットが浮かび上がってくる。年甲斐も無く得も言われぬ感激が湧いてくるから不思議だ。今更ながら、もっと高い所から静かにこれを見たいと思う人の気持ちが少しは分かる。

ぼやぼやしていて朝飯が遅くなるのも叶わないので、5時少し過ぎには食堂の前に立って1番の飯にありつく事にした。小屋の方でも気を使って5時半の予定を早めて食堂を5時10分にはオープン。同室の人達にはかなり遅ればせになったが、新越山荘を目指し5時40分に出発、先ず針ノ木山頂を目指す。急な勾配ではあるが時間的には1時間ほどで山頂に到達。やはり夏は北アルプスでしょう、と言うべき完璧な天気。360度の景観はうまい言葉が見当たらないが、兎に角本年最高の朝!といった気分。新越山荘まで峰を後3つ超えるのだがなんとか行けそうな気持になる。

ここらの尾根歩きは青年やおじさんおばさんアルピニスト憧れの剣立山連峰がずっと同伴してくれる、噂に違わぬ素晴らしい道程だ。しかし降りは岩ばかりなのでかなり神経を使う、本日2番目の峰「スバリ岳」にも順調に到達。降りにかかって暫くした時、又もやスリップ滑落転倒の大災難に遭遇。昨年は上田の烏帽子岳で、その前は南アの北岳で2回滑落経験しているので、2度ある事は3度の例えを恐れていたのだが案じた通りだ。でも死ななくて良かった、と思い起き上がると右膝が破れて血が噴き出している。

これは何とかしなければと思って、ザックを開き救急用品を出し始める。ズボンをたくしあげると、膝から下は血だらけ靴下の上に血だまりが出来ている。包帯やらアロエ軟膏を手にしてみたが、取敢えず血を拭ってウェットティッシュで押さえてみる。当然そんなに簡単に血は止まらない。傷が分からないのに薬を塗るのも何だからと思い、膝をウェットティッシュで抑えて絆創膏でぐるぐる巻きにして固定する。不思議な事にこの時痛みは感じていなかったのだろう、暫くして1グループが追い越しをかけてきた。不思議そうな顔をして「どうしたのですか、大丈夫ですか?」と声をかけてもらったが、「大丈夫です」と答えて先に行ってもらった。

兎に角自分流の応急手当てをして後の参考にと時間の記録で写真撮影、後で確認すると8時33分になっている。当然この時に時刻も確認はしただろう、先ず考えたのは「この傷をこのままには出来ない、どこで手当てをしてもらうか」だ。今日の予定は新越山荘、昼頃には着くだろう。しかし山荘で消毒してもらっても明日になればこの傷がどうなるか分かったものではない。それと山荘の混み具合では休養も十分とれないだろう。それでは頑張って種池山荘まで足を延ばして、明日一番で山を降るか。いやここも混み具合と言い設備スタッフについては似たようなものだ。最善は大町まで今日中に降る事だが、問題は足が持つかどうかだな。

てな事で、兎に角にも先に進むしかないと決断。11時30分に新越に到着したので、昨日同様で芸が無いが又ラーメンを食べて出発。14時半やっと種池山荘に到着。14時に到着していれば、無条件このまま下山と決めていたのだが、30分の延着はさすがに少し不安を感じた。しかしここからは少なくとも登りは無い筈だから、と下山を決心。14時40分から3時間後と言う事で扇沢登山口にタクシーの手配を依頼。水の補給場のお兄さんも心配そうな顔で鍵裂きになって血まみれのズボンを見てくれたが、「お気をつけて!」としか言いようが無いのは良く分かる。

降りも小股でゆっくりが山歩きの基本は良く分かっているつもりで、基本に忠実に歩き始めるが、9時間近く歩いているので流石にきつい。膝の痛みより足全体が棒のようになってくる。降りでこんなに疲労を感じたのは初めてで、昨年秋高妻山に同行した時の弟の気分が分かるような気がした。途中2,3か所雪渓を超えたりするのだが、これで転倒したら一巻の終わりになりかねないと気を使ったし、後ろから足音が聞こえたら無条件脇によって追い抜いてもらう事にした。昨年鹿島槍の帰りにここを降った時はそれほどに感じなかったのだが、今回の長かった事!途中で一昨日前泊したホテルに電話で部屋と夕食を予約、17時40分丁度3時間掛かって登山口に到着。タクシーのシートに倒れ込んで余った飲料をがぶ飲みした。

ホテルにチェックインして、傷口を洗ってもらうべくフロントに行って応急手当のウェットティッシュを外すと出血は止まっている様子。しかしこの傷ではここでの手当てだけでは無理となって、大町総合病院の緊急外来に電話。手慣れたもので、浴衣姿のまま直ぐに駅前の総合病院に送り届けてくれる。当直は若い綺麗な女医さんだが外科ではないとの事、傷口を洗浄してピンセットでごみをつまみ出し化のう止めの軟膏を塗る。傷口はズボンほどではないが、キーボードの縦横倍ぐらいの大きさで鍵裂きになって深く(5mmぐらいかな)えぐれている。本当は縫いたいのだが、怪我をして10時間以上経過しているので黴菌が入ってしまっている可能性もあり、との事で破傷風の注射に化膿止めを塗り、抗生物質を処方して、明朝もう一度来て専門医に診てもらいなさい。との事。

明けて昨日大町総合病院を再訪。包帯を巻かれているせいもあるが、もう完全にびっこ状態。整形外科の若い先生はさすが手際が良い、すかさず麻酔を打って手術に掛かってくれる。即ち余計な皮膚は切り取り、傷口にドレインと言う膿出し用チューブを差し込み5か所ほど縫ってしまう。後で紹介状を書くから、明日これを持って東京で外科医に行ってください。とすごい親切。今日外科医に行くと、「良い仕事をしています。」褒めていたのを大町の先生に伝えたい。

昨晩は早く帰って婆さんに顛末を報告。沢山撮った写真をテレビに映して二人で鑑賞。「大した事が無くて何よりだった。それにしてもこんなきれいな写真は初めてじゃないの、取敢えず一杯ぐらい飲みなさい。」缶ビールと我が家の庭のベリーで作ったフルーツ酒で乾杯。しみじみと幸せを感じた3連休が幕となった。

3 件のコメント:

tak さんのコメント...

これは大変なことでしたね。やはり高い山は何があるか分からない。
気をつけておられたのに・・・大事にならなくて良かった。
これを教訓に一層安全な登山を楽しんでください。

senkawa爺 さんのコメント...

takさん
こんにちわ、お久しぶりです。
又、コメントをありがとうございます。

山はすべて自己責任と言いますが、骨や神経がやられたら自己責任と言っていられませんよね。本当に運が良くて助かったと思っています。もうこれからは余り危険な山に行く機会も少ないとは思いますが、ご指摘の通り安全にへの配慮を一層心がけます。

マネージャーK さんのコメント...

はじめまして。
ヤマレコを拝見させていただき、ココにきました。
大変でしたね。しかしご無事でなによりでしたね。
今年、このコースを歩きたいなと考えています。
気をつけて行きたいと思います。参考にさせていただきます。