2010年1月29日金曜日

「リクルート事件・江副浩正の真実」  江副浩正 著

このところ民主党幹事長小沢一郎がらみ一連の報道で「東京地検特捜部」がクローズアップされてきている。しかし司法なんかに全く興味がないので、社会的な機能はもちろんイメージすら湧いてこない。退屈を覚悟で特捜関係で現在評判になっている本を何冊か読むことにした。その第1冊目である。

検察云々以前に改めてびっくりしたのはこの事件の大きさである。当時社会問題に興味がなかったのか事件概要は殆ど記憶にない。リクルート事件の発生は昭和63年6月で逮捕起訴された人間が12人、江副氏自身は翌年の2月に逮捕されて6月に保釈になったものの判決はなんと平成15年3月である。江副さんと言う人は大金持ちで広い範囲に谷町気分でお金をばら撒いていたようだ。従って彼から株券やお金を貰った人は広範囲すぎて彼自身も認めているが、逮捕起訴されなかった人物は本書には書かれていない。

唯一例外的に政治家の中では中曽根康弘の名前が何度も登場するのは、彼の身代わりとして訴追され政治生命も絶たれた藤波孝生氏に対する贖罪的な気分からだろう。考えてみれば昭和63年と言えばバブルの絶頂期、世の中金さえあればなんでもOK の雰囲気に包まれていた時代だ。なるほど正義の検察がこりゃ何とかしなきゃいけんな、と思った気持は分からないでもない。同じような連中が数多くいた中で血祭りに上げられた江副氏は気の毒ではある。

捜査手段をほとんど持たない検察は、捜査の大半をマスメディアの情報に頼って起訴のストーリーを組み立てると書いているが、これもあながち嘘だろうとは言えないかもしれない。併せて取り調べの過酷さと卑劣さ(脅しの手口)、これについてはこの本での論を待つまでもなく多くの人間が指摘しているところだ。友人からも実体験を聞いているので本当の事だろう。しかし捕り方からすれば悪人をふん捕まえて「有体に白状しませい」と迫るのは生易しい事では勤まらないのも事実だろう。だからこの辺の感想は引かれ者の小唄を聞くようなものだとしたい。

問題は検察が世の中や政界にはびこる金権体質を糺(正)したいとする発想で、一罰百戒をよしとして事件に着手する特捜のシステムだ。この事件の経緯を受けて政治資金規正法が制定されたらしい。検察側は所期の目的を達したとして喜んでいるのだろうか。同じ行為をしながら罰せられなかった不特定多数の人間がいて、片方に大きく人生を左右された特定の人間が存在する。検察側に言わせるとこれらの人間も微罪で済んだから良いでしょう、てなものかもしれない。これはやはり少し考える必要がありそうだ。

私は昔から「正義」なる言葉については疑問を感じているからかもしれない。昭和63年当時のバブリーな風潮を良しとするわけではないが、これを矯正するのに正義の味方として東京地検特捜部が腰を上げる必要があるのはおかしい。その時点で金をばら撒くのがいけないと法的に指弾できるのであれば、ばら撒いている奴と受領した全員を検挙すべきだろう。それをしたらこの本を読まなくても世の中から政治家と高級官僚は一人もいなくなっている。勿論検察の幹部もその中に含まれたろう。と云った事を考えるヒントにはなった。

2 件のコメント:

tak さんのコメント...

藤波孝生氏は俳人で「控え目に 生くる幸せ 根深汁」が代表作のようですね。
中曽根氏の代わりになった不運な人でもありますが、功罪半ば。
http://happy-end-69108.seesaa.net/article/115280376.html

senkawa爺 さんのコメント...

takさん
ご愛読とコメント、いつもながらありがとうございます。

政治家は因果な商売というか、あまり割の合わない稼業のようにも思います。なんで選挙に立候補してまでなりたがるのか訳が分かりません。

東大出の人には政治家が山頂のように見えるのでしょうか。