2009年11月27日金曜日

「倫敦塔・幻影の盾」 夏目 漱石 著

子供の頃よく遊びに行った祖母の家に橙色の漱石全集が揃っていた。講談本を読み飽きた頃から祖母の家に行ってはこれを読み始め、高校を終わる頃までには全てを読んでしまった筈だが、内容はとんと思い出せない。先週書店に行ったが 読みたいと思う本が見当たらないので、書名も記憶にないこの本を買って読んでみた。

タイトルの2編の他に5件の短編集(小説ばかりではない)である。昨近日本人の漢字力低下が指摘されているが、私もご多分に漏れず同様で、先ず漢字の勉強になった。併せて中には意識的に古美文調で書かれている散文詩があったりして、ボリュームは無いが読むのに大変難儀した。これを高校時代に読んでいたとしても記憶に残らないのは当たり前、字の数を勘定していたに過ぎぬ事だろう。その上意味の分からない単語が多く、巻末に注解が40頁にわたって付記されているからまだしも、これが無ければ途中で読むのを諦めたかも知れない。

書かれたのはデビュー作「吾輩は猫である」とほぼ同時期、明治38年ころである。漱石自身も慶応3年生まれだから我々から見れば江戸時代の人みたいものである。中に「薤露行」なる1篇がある。タイトルからしてルビが無ければ読むことが出来ない。「かいろこう」と読むらしい、意は「死出の旅」に近い。これが何とアーサー王円卓の騎士のトップスター”ランスロット”を主人公にした大ロマン散文なのだ。読んだ事はないが「源氏物語」も不倫小説だと言うから日本人は元来ロマンチックが好きなんだろう。最初に収められている「倫敦塔」はそうでもないが、表現は古めかしいが全編に異性への思いが香り高く漂っている。

母の頃は漱石と言えば大流行作家だったようだが、私からすると恥ずかしい限りだが既に古文に近い。漱石は英国に留学しても英語が通じないので神経衰弱になり下宿に引きこもっていたと言われている。しかしこの短編集を読む限り彼の英語力は生中ではなかった事が良く分かる。引き籠ったのはもっと他の理由があったに違いない。例えば余りに頭が良すぎる上に神経が非常に繊細で、女性なんかでも観念的には凄く純化と言うか美化してしまう傾向があったようだ。同様に西洋の事情に接した時、勉強して自ら構築してきた観念と現実をどう整理するべきか混乱したりしたとか。

素人が勝手に無責任な事を書いたが、明治時代の人の西洋に対する思いと勉強の凄さには敬服するばかりだ。明治38年に書かれた文章に、彼女がインフルエンザになったのではないかと心配するシーンが出てくる。100年後の今日未だに同様の心配を多くの国民がしているとは情けない限りだ。

0 件のコメント: