2009年11月25日水曜日

落選議員を励ます会

昨日高校同期の友人から声が掛り、前回の衆議院選で郷里長野に於いて落選した自民党議員を励ます小規模な集会に顔を出した。どうして私に声が掛ったのか分からないし、同窓生でもない彼を何で選挙区でもない東京で励ます会を開催するに及んだかについても特に聞いては居ない。しかししばしばこの日記でも書いているように最近政治について興味を持っているので興味を持って出かけてきた。


年齢的には我々より6歳年下で前政権時代には大臣経験もあり、つい先ごろまではテレビで良く見かけた顔でもあるが、世襲議員なので代議士になるまではずっと東京で育ち東京でサラリーマンをしていたとの事。呼びかけ人の他に1名未だ経済界で活躍している同期生が居て、この二人は以前から何らかの繋がりがあるようだ。残る数名は私もそうだがこれまで何の面識もない。ついこの夏まではテレビで見ても偉そうにしていた人が少し年上と言うだけの我々に対して大変丁寧で気を遣っていたのが印象深い。6時半からの会であったが、私なんかより先に来たようで「先輩ばかりなので緊張します。」と言って寝むそうではあったが10時近くの最後まで付き合っていた。


彼は前々回を上回る約12万7千票余を獲得しながら落ちたのは余程悔やまれるようだ。彼によると今回の選挙はやはりタイミングが最悪であったらしい。当然昨年中には選挙があると言う前提で麻生政権が出来た直後から選挙区内を奥さんと手分けして10数万軒隈なく回って臨戦態勢を整えたらしい。尤もベルを押して「こんにちわ」と直接会えるのは約2割だそうだ。そしたら麻生総理が決断せずご案内の通りの状況になってしまった。「半年もたてばこの努力もすべて水の泡です。その上メディアに自民必敗と書き立てられれば元気も出なくなりますよ。」と唇を噛むような感じであった。


再起のためには長ければこれから4年近く運動をしなければならないが、つくづく考えてしまうそうだ。彼の場合は長野県では家柄が超1級なので親戚の会社に在籍する形を取ったりすることも可能らしいが、落選者は自民党の支部長になる事は出来ても兵糧の補給が極細になるらしい。ここら辺の話は具体的で言っちゃ失礼だが面白かった。そう言えば我々仲間の応援等も得ながらやっと政治家になったものの、落選した途端地元の仲間に挨拶もせず政治家をあっさり辞めて評論家になってテレビで稼ぎ、同期生の顰蹙を買った人もいる。今回彼の話を聞くと政治に携わる人間にはそれなりの覚悟が必要と言う事が良く分かった。


実は昨日の朝食時、テレビで市川海老蔵と何とか言うアナウサーの婚約報道で、扇千景以来梨園の妻は役者としての亭主を陰でサポートしなければならないので大変な苦労がある、とやっていた。これを見ながら婆さんと、役者の女房と政治家の女房は同じで夫婦で亭主の表芸を支えなければならないから大変だな、と話していたばかり。彼もこれからは育った江戸を捨てて基本的には慣れぬ長野中心の生活ならざるを得ないのだろう。奥さんも「基本的に私の居ない所に居てもらいます。」と言っていたが、選挙が近付けばそうとばかりは言っていられないだろう。


友人たちも酒の勢いもあって勝手な事を言っていた。私も負けずに「新政権で日本の経済が悪くなったり海外で信用が失墜するのは、選挙で国民が選択したのだから仕方がないと思っている。それを予告するように新政権の悪口ばかり言いたて、目先で新政権を牽制してみたところで詮無い事だろう。数年後おかしくなった日本を前提にして、自民党が政権に復帰して何をこうするのだ。と長期ビジョンを明確に打ち出さないと次の選挙に備える事にならないのでは?」と言ってしまった。


落選中であれば所属政党を客観的に振り返り、やや長期のビジョンを練る必要性も分かるだろうと思っての事だ。偉い元先生に失礼かと思ったが、流石政治家「仰る通り。」とすんなり受けてくれた。しかし谷垣氏のリーダーシップ余り期待できない風情であったのが少し可哀そうでもある。

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