2009年10月26日月曜日

人間同士の付き合い

昨日テレビを見ていたら映画監督の山田洋次氏が、学生スタッフだけで新作を作る事にトライしている事を紹介していた。その中で「近頃の青年は人間の付き合い方が下手と言うか、分からなくなってきているのでは?原因としては核家族化が進んでいる上に、積極的に人付き合いをしなくても生きていける、むしろ一人でいる方が快適と言う子が増えているのではないか。」と話していた。成程大勢の人間を使う立場の人だけに、うまい事を言うし、よく見ているなあ」と感心した。

昔から子供に対しては「よく遊び、良くまなべ」と言ったものだ。最近は報道でも学力の評価や体力の評価についてはどの学校がどうだとか、国際比較でどうだとかといった話題ばかり。子供がどんな遊びをしているか、大人或いは年長者とどのように付き合っているかなんて事は検討の対象にもなりはしないし、報道もめったにないだろう。こういった意味では昨日のほんの数分ではあったが番組(何の番組か忘れた)は大変な示唆を含んでいた。

子供が置かれている環境も東京と田舎ではかなり異なり、田舎に行けば塾もそれほどポピュラーではないかもしれない。隣近所の付き合いも都市部よりは地方の方が濃密ではあろう。しかしテレビの普及は全国的に100%超えているし、ゲーム機にしろパソコンにせよ音楽関係の機材もそうだが、友達と遊ぶ又は大人の手伝いをする事は時間的にずっと減り続けている事は間違いないだろう。その事をいまさら言ってみても始まらないのは分かるのだが。何か基本的なところで勘違いする人間が増えている様に感じていたことの原因の一つが分かったような気がした。

既に親も先生も警官も政治家も皆お勉強の必要性は十分教育されて育ったが、教育教養とは少し違う何かが欠けている世代になってしまっている。先進的な方々が、これからは「ネットワーク型社会」と主導されるが、個人個人に人付き合いのノウハウと言うかアプリケーションがプラグインされていなくてそんな社会が上手く構築できるのだろうか?と言う素朴な疑問もわいてきた。

1 件のコメント:

kiona さんのコメント...

一昔前、80年代後半あたりから "粘着力のない" 人間関係が生まれつつあるということが指摘されていて、実感はしていたけど、自分は都会育ちですが、80年代当時のあのつきあい方、しつこくしない、快適な距離を置くというのは苦手だったように思います。 それがオシャレなつきあい方という空気はあったけど、自分の世代でも、あまりにあっさりした人間関係は時代に迎合した気がしたものです。

さらに時代は進んで、いま小学校・中学校の子供らは、ご指摘のようにあまり友だちづきあいをしているようすはない。 人によって違うとは思いますが、うちの子を見てると放課後に遊びに行ったりするのも徐々に少なくなってきた気がします。 小学校低学年くらいまでは、そういうこともあったのですが。 今でもときどき学校帰りに家までついてくる子がいたりしますが、親が不寛容なのか、それ以上発展はしない。

現実での人間関係はそんな風なんですが、ネットに関してはゲームをやって、ゲームはコミュニティ化してるので、ネット上の知り合いはたくさんいるようなのです。 娘はネット上で結婚までしています^ ^ 相手も小学生だそう。 他にも掲示板やブログを上手に使って自己表現したり、コミュニケーションを楽しんでいるようす。

こういう状況を目の当たりにすると、正直ヤバイと感じる。 しかし、何がヤバいのか? 彼らに罪はなく、環境に応じた関係性を選択しているだけにも思える。 自分ですらリアルな関係よりSNSで済ます関係のほうが多くなっているわけですし。 現実のつきあいで残っているのは仕事がらみの関係だけとも言える。

では現実っていったい何なのだろう、 バーチャルのつきあいではできないことって何だろう。 そう考えると、 たどりつくのはフィジカルな関係。 男女間では当然そうですが、同性同士でも物理的な距離、なぐりあったりはしなくても、近くで見る笑顔、怒り顔、あるいは肩を組んだり。 それが少なくともいまリアルに残され、まだバーチャルが実現していない機能でもあるわけです。

だから現実のつきあいにおいては、もっとフィジカルコンタクトを意識していく。 子供らの世代にもスキンシップの大切さを教えていくことなのかなと思ったりしています。

まとまりに欠けるコメント、単純な帰結ですいませんが、単身赴任の父が、電話では子供を抱きしめられないという感覚こそが、ネット社会に対抗しうるものだという気がします。 ただそれを再び獲得するまでに、それができない人間になってしまわないように。 そう努力するだけでしょうか。