2009年9月7日月曜日

武士の娘 杉本鉞子著

福沢諭吉の「学問のすすめ」(1872年刊行)や新渡戸稲造の「武士道」(1900年刊行)に比べると、比較的新しい1925年刊行ではあるが、前2書と同様に原文は英語で書かれアメリカで発刊された本である。著者は越後長岡藩の元家老の娘で1973年(明治6年)の生れ。幼少の時から賊軍の家老の娘としてかなり苦労するが、一方武士の娘として厳しく躾けられる。躾の中には漢籍を中心とする教養はもちろん、主婦として必要な家事万端から嫁して後、夫にどのようにつき従うかと言った事まで若い時からびしっと叩きこまれたようだ。

そして15か16歳の時には嫁入り先が決まる。これが兄の友人でアメリカ在住の今で言う貿易商で、年齢は定かではないが恐らく10代で単身渡米、結婚、アメリカで二女を出産するが、夫が比較的若くして亡くなり、一度帰国するもののアメリカを永住の地と決めて再び渡米。生活の足しにするためもあってこの原稿を方々に投書したようだ。結局書物として刊行されたのは彼女が50歳を少し超えてからだと思うので、自分の半生を綴った懐旧談風になっている。

この本を読んで思うのは、現代における女性と異なり、昔の日本女性は自分の意見を言わない人形見たいものと思われている節があるがそれは全く違うのではないだろうか。むしろ江戸時代における武家の教育においては女子も男子同様に幼いころから厳しく教育されているので、自己の確立は現代女性よりはるかに高く、社会における自己の役割や責任を強く認識しているように思われる。ただその時代に於いてはマスメディアが発達していないので自己発現の機会が少なかったにすぎないのではないだろう。私にも明治20年に生まれた武士の娘の祖母が居たので、この著者を想像しながら共通点があるように思えてならない。

それともう一つ感心するのは、江戸時代末期の高級官僚は殆ど英語くらいは自家薬籠中の物としていたと言う話を聞いた事がある。5歳6歳の頃から四書五経といった難しい漢籍を繰り返し読んで理解する訓練を受けてた人に取っては、日常会話の英語をモノにするぐらいの事は朝飯前だったのだろうか?福沢、新渡戸の他に内村鑑三とか、似たような例はたくさんありそうだが、この著者も英語のレッスンについては実にさらりと述べているにすぎない。江戸末期から明治生まれの人は英語で意見を述べる事について些かの躊躇も見られない。実の驚嘆するばかりだ。

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