2009年8月17日月曜日

爺が爺が岳に「富より健康」


14日の金曜日お盆にことよせて仕事をさぼり又山に行って来た。先月悪天候で途中で断念した北アルプスに再挑戦である。昼少し前に長野からバスで扇沢に到着。先月は沢の上が登山口なったが、今回は第一目標を爺が岳にしたので登山口は沢の一番下。バスから降りて大分歩かなくてはいけない。久し振りに夏らしいお天気になったせいか駐車場の混雑はタダものではない。しかし山登りには少し時間が遅いので登山客は少ない。登山口で準備をしていると若い男1女2の3人組と出会う。東京から車で来て明日鹿島槍登山の予定との事。同じ予定なので宜しくと挨拶。


3人とも野営との事で見るからに重装備である。ともあれお天気は良すぎるくらいで汗まみれになりながら登りはじめる。どこかで昼飯をと思っているとザックの中で携帯が鳴った。登山口までのバスやらで世話になった長野の従妹からだ。今回は快適な登山になりそうなことを伝えて安心してもらう。小1時間登って昼飯の握りを食う。 前方には真っ青な空にアルプスの稜線がくっきりと浮かび、遥か彼方に今日の目的地の小屋の赤い屋根がポツンと見えた。写真が下手ではっきり見えないが稜線右端にゴミみたいに見えている。ロマンチックな光景ではあるがこれから登る高低差が思いやられる。登山口で一緒だった3人組も一緒になって休憩している。

ここまで来れば全行程の3分の1は来た筈と思い、腹ごしらえは出来たしと歩き始めると、照りつける直射日光で汗が噴き出るばかりで足の方は遅遅と進まない。結局コースタイム3時間45分とあるところ喘ぎ喘ぎ4時間半もかかって、4時にやっとの思いで小屋に到着。小屋は意外と空いている様子、部屋への案内を待ってもらって、取りあえず外で一人でビールで乾杯。今朝の東京の暑さが嘘のようだし、明日登る爺が岳が眼前に聳え、眼の下には雲海、普段飲まないビールが事の他うまい。涼風を楽しみながらビール一缶を一気に飲み干し、部屋に荷物を置くともう夕飯である。

飯がすんでも外は十分明るい。再び外に出てアルプスの眺望を楽しんでいると先ほどの3人組と又顔を合わせる。野営の準備が終わり、彼らもいよいよビールで乾杯という段取りになったようである。爺も又ビールを買って乾杯に加えてもらう。ここから話はずみ自己紹介などするうちに、彼ら青年諸氏がSNSmixiでの知り合いという事が分かる。爺も実は同類と明かすと会話が益々盛り上がる。男性Sさんはmixiで山のコミュニティーを主宰するベテランで女性はそこのメンバーとの事。明日も又目的地が同じだから一緒しましょうと言う事になる。相当厚着をしてその上焼酎のお湯割りをご馳走になっていたが、寒くなってきたので7時に明日を約束して就寝。6人相部屋だが布団一組に一人なのでゆっくり寝につく事が出来た。



15日朝快晴、朝食5時、大町方面はまだ雲の下だが山々の稜線がくっきりと見ええいる。5時半頃Sさんと再開、彼らは天幕を移動しなければならないので先に出発して下さい、との事。どうせこちらはナメクジみたいなスピードだからその方が良いのだ。予定通り6時に出発、フロントには爺が岳を経由して鹿島槍までは4時間と書いてあったので一応4時間半は掛る事だろうと思っていた。爺が岳山頂目指してもう沢山の人が登り始めている。6時45分爺が岳南峰に到着、360度の展望は言うに言えない美しさだ。特に立山連峰から剣岳、剣沢雪渓は見るほどに若いアルピニストを惹きつける所以が分かるような気がする。

7時5分中峰到着、8時5分冷池山荘到着、ここで一休み。ここから本格的な山登りが始まる。いつもそうだが、標高2000mを超えると急に足が重くなってスピードが極端に落ちる。行程表で言えばここが中間地点だからあと歩行2時間(10時半到着)で鹿島槍に行きつく筈で、ここまではほぼ計画通りなのだが、中間点から先がいつも問題、計画通り行った試しがない。結局布引岳山頂には9時30分 到着。




ここからは宣伝文句が書く所の鹿島槍につづく天空の遊歩道だが、とても遊歩なんて気分では歩けない。

息も絶え絶えだが立ち止まっては吹いてくる冷たい風に助けられつつ10時43分憧れの鹿島槍山頂に到着。予定時間からは大分はみ出ているが、自分の足でこの山頂を踏みしめられた事は何よりも嬉しい。石川遼君ばりに全ての人に感謝をしたくなる。そして逆光でも何でも先ずは記念写真を撮ってもらう。このカメラもうすでに倒産した会社のカメラでどこに行っても交換電池さえ入手不可能だが、時刻が正確に記録されているので後で登山日記を書く時極めて都合が良い。少し早いのだが種池の小屋で用意してもらった弁当を広げる。よくある事だが、疲れてしまうと飯がまずくなって喉を通らない。良くない事だとは思うが、大半食い残して自宅ら持ってきた携行食で済ませる事にする。オレンジは美味かったがバナナは全く食えないほどに腐っていた、残念。


暫くするうちに若い3人組が相変わらず元気に登場、早速合流してお昼近くまで4人の山頂パーティーで盛り上がる。3000m近くの標高でありながらこんなに恵まれた環境でゆっくり出来たのは初めてかも知れない。


夕暮までここに居たい気持ちに後ろ髪を引かれながらお昼過ぎになったので下山を開始。今度は若い人達と一緒。張りきりボーイと張り切りガールズなのでかったるかったろうが、リーダーのSさんが爺を先頭に立たせてゆっくり歩かせてくれる。中間点の冷池山荘で休憩の後、再び登りに掛り爺がバテテ顎を出したら、Sさんがこれを飲んでください、と薬を呉れた。アミノバイタルとか言ったように思うが普通薬局で簡単に購入出来るらしい。嘘みたいに元気が出たので次回山行には是非購入するとしよう。何れにせよ4人で賑やかに下山、昨日と同じ4時頃に小屋に帰還。ここから夕方の宴会と就寝までは前の晩と同じ。寒さも同じ



16日朝食はやはり5時、しかし連泊の客は爺一人だったので食事の内容が大分他と違う。オムレツに良く焼けたベーコンなどが添えてあり、一般客は身欠きにしん一切れに対し我が盆には岩魚の甘露煮にがまるまる添えてある。初めて残さずきれいに平らげる事が出来た。おまけに昨晩は6人部屋に4人、ゆっくり休む事も出来た。食事の後若い人達の天幕撤収を見学、女性も含めあっという間に手際よく二張りを撤収。でも帰宅してからの手入れは大変そう、とても真似はできない。登山する人たちが出かけてからモーニングコーヒー等ゆっくりと飲んでから7時に下山開始。今朝も絶好の日和、3人組と仲良しにしてもらったので、登山口に到着後大町の温泉、さらに長野駅まで車に乗せてもらえる事になる。7月にも入浴した大町温泉薬師の湯で朝風呂を満喫、さっぱりしたところで長野に向かう。


途中酒の博物館に立ち寄り梅酒を購入、帰宅して婆さんに笑われる。更に途中の昼飯を張り切りガールKさんの発案で小川村の「おやき村」に立ち寄る事に決定。話には聞いていたが横浜っこのKさんに案内してもらう。車中で「おやきは味噌なすと野沢菜が好きだ」と話していたら、今焼いているのが偶然にもその2種類だったのにびっくり。アツいおやきを囲炉裏の火の傍で食べる、無料の味噌汁と冷たいそば茶が何とも言えない。
若い人はさらに座敷でそばを註文、こちらはお茶だけだが、湯呑に書かれた「富より健康」という言葉に感激。その後駅まで送ってもらい、始発新幹線に乗って居眠りをしながら帰京、軽井沢からは通路も満席だった。富よりも何物にも代え難いような素晴らしいお盆の休日だった。


帰宅すると婆さんがびっくりしていたが日焼けが凄い、幸い水曜日までクライアントに顔を出す必要は無さそうだ。今朝起きると両腕は肘上から手先まで真っ赤にむくんで晴れ上がり、指を曲げるのも困難である。顔もほっぺがむくんで瞼が重い。婆さん曰く「孫違って色白だから大変ですね、次回からお気を付け下さい。」と大笑い。しかし今日は思いの外足の筋肉痛が少ない。年齢的にも毎週のハイキングは無理だが本格的な秋が来る前にもう一度山に行きたい。


0 件のコメント: