2009年7月8日水曜日

木造築50年

先月久しぶりに我が家の外壁のペンキを塗り替えた。と言っても自分でやった訳ではなくて、婆さんの発案で専門の大工兼ペンキ屋さんに頼んでの事だ。序に家の中も少し修理をしてもらった。こういった事はまめな人なら自分でするのだろうが、不器用な上にずくなし(信州の方言で横着の意)なのでとてもやっていられない。不景気が続いていると言うのにご近所は次から次へと新築改築が進み、周囲の殆どが何やら分からないが新建材による3階建て住宅になってしまった。最古参で木造2階建ての我が家は却って目だつ存在となっている。

築後50年近くになるのだから相当しょぼくれた家だが、外側を塗り替えてみると結構立派に見える。婆さんも気に入っているようで、「これで建て替えは、我々が亡き後に考えてもらえばいい」との事だ。事務所の隣でも新築ラッシュで先月から又1軒工事に入っている。見ていると、先ず基礎をコンクリートと鉄筋ででがっちり固めて、飛び出している鉄筋に、大型トラックで運んできたコンクリート壁をこれ又大型のクレーンでつり上げて差し込んで、3日か4日で3階建ての箱が出来上がってしまった。大成パル住宅とか書いてあるが、事務所の周りはこの工法が圧倒的に多い。堅牢かも知らぬが、あんなところで生活するのは何となく息苦しそうだと内心思っている。

それと我が家のように修繕が利かないのでは、と他人事ながらも心配になる。我が家は築2~3年の木造住宅を父が45年くらい前に購入したものである。以来、結果的には私がずっと住み続けたきた。結婚して40年経つが、この間何回も手入れをしている。外壁の塗り替えだけでも今回で3回目ではないだろうか。順番は記憶していないが、結婚当初我が家の台所に水道の蛇口はあったが、水の供給源は庭先に掘られた井戸であった。又、水洗便所にはなっていたが、下水道は無く自家浄化槽であった。屋根がトタン屋根であったような気もするし、浴室が何故か離れと言うか勝手からいったん外に出て渡るようにもなっていた。しかも脱衣室が付いていなかったような気がする。燃料は既にガスになっていたような気もするが、もしかしたら薪を燃やす事を前提にしていたのかも知れない。(勝手の方に瞬間湯沸かし装置を付けたのはかなり後の話である。)

家の売り手の話によると、敷地が40坪しかないので風呂場を含めると当時の70%規制に引っ掛かるので別棟にしたと聞いたような気もする。トタン屋根もどこかの時点でテフロンの屋根板に変更したし、庭に植わっていた大きな木を切り倒して、コンクリートの塀をぶち壊し駐車スペースを作ったりした。ここ20年以上ここには他所の家の自家用車が鎮座している。このように思い出してみると結構面白い。考えてみると、いろんな不都合が生じてはその度に手入れをしてきた事になる。外観は大きく変わらなくても中身は相当に変わっている。

近代住宅では雨漏りなんかの心配は全く無いのだろうが、一定の年数が来ると全てを取りかえる事になるようだ。ご近所を見ていると30年足らずで新築している家が多々ある。経済性については分かりかねるが、ちまちました手入れの煩わしさも過ぎてしまえば結構楽しい思い出でもあり、今はやりのエコという観点では我が家の方がエコであろうと思っている。

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