2009年6月8日月曜日

仏前結婚式

昨日甥っこの婚礼に招待され夫婦で長野へ行って来た。土曜日までの梅雨空が嘘のようで、慶事にふさわしい素晴らしい晴天だった。早朝に家を出て朝9時に式場の善光寺大本願に到着。これまでの人生で数多くの結婚式に参列したが、お寺での式は初めてなので興味深々だった。式は本堂のご本尊の前でお上人様が執り行う仕掛け。勿論司会は実に堂々たる体躯の方坊さんで、ところどころに大勢の坊さんの読経が流れるおごそかなものだ。途中司会の坊さんが執り行われる儀式について丁寧に説明解説をしてくれる。

神式やキリスト教会の式に比べると少し手順が多く時間がかかる。何故ならば新郎新婦が仏弟子になるための手順に加え、先祖への報告が加わっているからだろうと思う。式場のしつらえとしては正面の本尊以外は全て白い幕と屏風で覆い隠され、代わりにお上人様の脇に両家の先祖の位牌が置かれている。新郎新婦は勿論両親達は本尊に焼香する度に先祖の霊にも焼香しなければならない。三三九度の杯はあったが謡曲や讃美歌は勿論なし。代わりに脇の坊さん達が雅楽みたいものを笙や笛などで演奏する。

そもそも「夫婦や親族固めの杯」なんてものは仏教には無いと思うのだが、その辺はお寺さんも少し譲歩して俗事を取り込んでいるのだろう。何れにせよ、最近我が国においては婚姻届を出す前に神仏の前で契り、この契りを終生違えぬ事を神仏に誓うのが普通である。この習慣は決して悪いことではないので、これからも大勢の皆さんが大事にするのは良い事だ。

因みに我々夫婦が結婚した時は違った。親戚のおじさんの一人が謡曲「高砂や~」とうなっている時、料理屋の女中さんが注いでくれた三三九度の杯を飲んだだけだったような気がする。確か床の間に何かめでたい軸が掛っていたが神や仏ではなかったと思う。ま、それでも40年、何とかここまで来たのは三三九度の盃に神仏の加護を約する力が宿っていたのだろう。

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