今日で3月もおしまい。桜も満開なのに真冬の寒さ、不思議な天気だ。まだ日本に居るのかどうか知らぬが、つい先日アメリカの国防長官と日本からは石破首相まで出席して、硫黄島で戦没者の慰霊祭が行われた。しかしこの式典に旧島民関係者は列席してなかったと思う。小生はこの島に関して一般の人に比べて思い入れが深いと思う。理由は幾つかあって、一には終戦直前のここにおける激戦で日本軍の指揮を執った栗林中将(当時)は我が母校(長野高校、当時は中学)の先輩であること。更には氏の菩提寺(長野市松代町豊栄にある明徳寺)が我が母方の実家も一緒なので、墓参りの度に氏の墓もお参りしてきたことがある。
そして硫黄島はてっきりアメリカの占領地域とばかり思っていた。しかしこの島は紛れもなく日本領土であるが、訪問できる交通手段も無く、日本人の立ち入りは厳しく制限されているとのこと。戦後80年と言う節目もあるのだろう、宮内庁は1月の終わりに今年も天皇皇后両陛下が訪問されることを発表していた。首相や防衛相が露払いで現地の整備に行くなら分かるが、アメリカ国防相の訪問に合わせて日帰りするとはとんでもない無礼者ではないか。
日本でありながらアメリカ軍によって管理され続けて80年、一時は原子爆弾保管庫が置かれ現在は撤去されたと報じられているが、アメリカ軍発表が根拠だろうから当てになったものじゃない。領土でありながら他国によって占拠されていることでは北方4島と同じだが、報道されないので旧島民は忸怩たる思いだろう。80年前の敗戦の傷跡は至る所に見られるが、これはアメリカの政権が替わろうと何も変わらない現実があること知る必要がある。