2025年3月31日月曜日

硫黄島の現実

今日で3月もおしまい。桜も満開なのに真冬の寒さ、不思議な天気だ。まだ日本に居るのかどうか知らぬが、つい先日アメリカの国防長官と日本からは石破首相まで出席して、硫黄島で戦没者の慰霊祭が行われた。しかしこの式典に旧島民関係者は列席してなかったと思う。小生はこの島に関して一般の人に比べて思い入れが深いと思う。理由は幾つかあって、一には終戦直前のここにおける激戦で日本軍の指揮を執った栗林中将(当時)は我が母校(長野高校、当時は中学)の先輩であること。更には氏の菩提寺(長野市松代町豊栄にある明徳寺)が我が母方の実家も一緒なので、墓参りの度に氏の墓もお参りしてきたことがある。

そして硫黄島はてっきりアメリカの占領地域とばかり思っていた。しかしこの島は紛れもなく日本領土であるが、訪問できる交通手段も無く、日本人の立ち入りは厳しく制限されているとのこと。戦後80年と言う節目もあるのだろう、宮内庁は1月の終わりに今年も天皇皇后両陛下が訪問されることを発表していた。首相や防衛相が露払いで現地の整備に行くなら分かるが、アメリカ国防相の訪問に合わせて日帰りするとはとんでもない無礼者ではないか。

日本でありながらアメリカ軍によって管理され続けて80年、一時は原子爆弾保管庫が置かれ現在は撤去されたと報じられているが、アメリカ軍発表が根拠だろうから当てになったものじゃない。領土でありながら他国によって占拠されていることでは北方4島と同じだが、報道されないので旧島民は忸怩たる思いだろう。80年前の敗戦の傷跡は至る所に見られるが、これはアメリカの政権が替わろうと何も変わらない現実があること知る必要がある。 

2025年3月30日日曜日

失敗の連続

 晩年の父の口癖を思い出している。「小過は多数あったが、大過無くここまで来ることが出来た。」小生も今、同じ思いでいる。父は92歳まで生きたが、同様の長命に恵まれるとも思えない。そしてふとこれまでを振り返ると、およそ成功体験と言うものが殆ど無くて、失敗と躓きが今も毎日のように続いている。今日も地下鉄を降りる駅を間違えたし、買い物も1件忘れてしまった。昨日サボって今日挙げようと思っていたブログも公開する時刻はとっくに過ぎているが、取り敢えず挙げることにする。

2025年3月28日金曜日

ちりめん本

 現役時代に長年広告とか広報に関わってきたので、結構な思い入れがある。これらが社会に齎す影響について一概に善とか悪とか断定はできないし、プラスマイナス両面性があることは認めざるを得ないだろう。言えるのは広告広報に必要不可欠なものが媒体であることだけは間違いなさそうだ。60年チョット前の4月に社会人となって初めて、市ヶ谷にあった大日本印刷の工場見学を思い出している。

当時は知らなかったが、高校同期生の一人が同社に入社していて、後に何かの会合で会ったときには専務取締役にまで昇進していた。ひょっとすれば現在でも最高顧問的存在かもしれぬ。現代は小生のような普通の市民が平気でネット上に意見を開陳する時代になっているが、これも僅か100年を少し超えたくらいのこと。それ以前には、文書は1通ずつ書くしかなく、ヨーロッパでは印刷技術が500年くらい前から発達したようだが日本では文書の木版技術の発展は相当遅れた。

しかし日本でも明治になると、木版による出版を志す人物が現れたことを昨日初めて知った。名前は【長谷川武次郎】昨日の夕方何気なくつけたテレビで彼が設立した長谷川弘文社から、数多くのちりめん本が刊行され、日本の文化を海外に紹介することになった経緯を知った次第。ちりめん本なる言葉も初耳だったし、これに小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も協力していたことなど、実に興味深かったが、残念なことにBS放送だったのでNHKプラスでも再確認することが出来ない。

ちりめん本をごく簡単に説明する。和紙に日本のお伽噺を木版(30色以上)で絵付けし、英語(木版活字)で説明を加えている。これを製本する前に和紙をちりめん状態に圧縮することで絵に深みが生じている。この木版が最近発見されて、NHKとどこかの印刷会社が共同で復刻を果たしたドキュメンタリー。実に見応えがあったのでNHKに再放送の確認をしたが、今のところ予定はないとのこと。ちりめん本は1900年のパリ万博にも出品され海外でも大きな注目を浴びて、現在でも海外の図書館に保存されいるケースは多いとのこと。

現代は次から次へと新しい媒体が開発されるが、手にする或いは見る気にもならない。先人が残した貴重な文化(遺産)だけに知る人が少ないことを重ねて残念に思う。

2025年3月27日木曜日

いつもと同じでも

 いつも平凡で変わらぬ日常であることを心がけているつもり。今日も未だ晴天が続いているのを幸いとして池袋駅を目指してゆっくりと散歩。駅前でいつも通り地下道に入ると、副都心線の切符売り場手前でインド人かどうか分からないが色黒の初老の男性に呼び止められた。傍らには奥方らしき女性が一人、男性が日本語で「切符、渋谷まで」と言っている様子。

こちらを人畜無害人物と見た目に狂いは無い。暇つぶしのつもりで渋谷までの運賃210円を自販機で表示、納得して差し出した何枚かの札から千円札1枚を引き抜き切符2枚を入手。改札口まで案内して手を振って見送った。これも善行の一つだろうと満足して麹町のレストランへ。いつも通りの定食ランチを注文、これが珍しいことに今日は<紅鮭のドリア>肉料理が多いのに珍しく柔らかな魚料理、一緒に煮込まれた野菜も美味かった。スプーンで食べることが出来たので大満足。

帰りのコースは市谷から飯田橋まで外堀の内側の土手歩き、左手に眺める外堀通り沿いの桜は未だ殆ど咲いていないのにこちら側は既に七分咲き以上。土手上ではもうブルーシートを広げ、先遣隊が缶ビールを飲み始めているグループもあった。小生も三月なのに花見を満喫。花見があと何回出来るか分からぬが、兎に角今日は何がついていたような気する。

2025年3月26日水曜日

孫の笑顔が見たい

 暫くブログを休んでしまった。理由はよく分からないが何となく毎日同じような日常を続けることに飽きが来たのかもしれぬ。今日の午前中珍しくと言ううより初めて、取引のある証券会社の池袋支店まで出向いて、小額ではあるが手持ちの投資信託をボケが進まぬうちに子と孫に贈与する相談をしてきた。

長いこと生きてきたが初めて知ったことで大切なことは一つ。人間の死後持っている資産の相続は法律が決められているので素人は心配する必要が無いとばかり思っていた。従って遺言なんて面倒なことはする必要も無い筈だった。今日考えが変わったわけでないが、相談してよかったと思った最大のポイントは一つだけ。

子や孫と一緒に考えていたが、子供には法律上の相続権があるが、孫には無いこと。単純な常識らしいが、世間知らずの爺は知らなかった。生きている間に生前贈与すれば良いだけのことらしい。口では簡単な手続きと言うが、それでも大変だ。勿論無税無届で可能な金額は年間110万円までらしい。来週4日は85歳の誕生日。何も残してこなかった人生で一度だけにしても、孫の喜びそうなことをしてみたくなった。

2025年3月22日土曜日

社会の不条理

 高校生くらいだったと思うが流行したアメリカポップスに「ケ・セラセラ」がある。ドリス・デイが歌って映画「知り過ぎた男」の主題歌だ。映画の筋は全く覚えていないが、歌詞の一部は不思議に覚えている。幼い子供がママに「将来素敵になれるかどうか?」尋ねてママが「先のことなどは誰にも分からない、なるようになるだけ。」と応える内容だったと思う。85歳を目前にして本当にその通りだと思う。高校生時代に現在の自分が想像できたはずも無いし、これから先のことも同じだろう。

古今東西流行するような作詞家は本当にうまいことを思いつくものだ。誰も同じ思いだろう。遠い先は勿論、政治家なんかは一寸先だって分かりはしない。平凡に生きている小生だって気を付けていないとどこで転んで怪我をしたり交通事故に巻き込まれないとは限らない。怪我で済めばいいが、罪が無いのに250日間拘置所に拘留されてしまった人の話が今朝の新聞に掲載されている。大阪の不動産会社「プレサンスコーポレーション」元社長、山岸忍氏。

検察の取り調べに腹を立て、国に賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁(小田真治裁判長)は21日、請求を棄却した。取り調べでの暴言などの問題点を指摘しつつ、「逮捕・起訴の判断が不合理だったとまでは言えない」と賠償責任を否定した。日本の司法は検察と裁判官が同じ穴の狢だから仕方ないかもしれぬが、山岸忍氏の気持ちは痛いほど理解できる。石破首相のポケットマネーにしても同じこと、庶民からすれば明らかに嘘なのに嘘が罷り通る不条理さ。国の仕組みがこの不条理を支えている。何とかする必要を感じる。

2025年3月21日金曜日

マスコミの反応

 数日前の雪景色が嘘のような春らしい陽気がやってきた。

アメリカのNBCテレビ報道によると、トランプ政権は政府支出削減の当然として日米軍強化の停止を検討しているとのこと。これは元外務官僚の天木直人氏のメルマガ読んだ記事だが、新聞もテレビもこれを取り上げる様子が無い。天木氏も「このニュースは、平和な日本を望む日本国民や、在日米軍に悩まされている基地周辺の住民、とりわけ沖縄県民にとっては吉報のはずだ。」と書いている通りだと思う。丁度国会は参議院で2025年度予算審議の真っ最中、野党には早速取り上げて質問してほしいが、今のところその気配も無い。

NBCテレビと言えばメジャーな放送局。日本のマスコミは当然知ってだろうが不思議なくらい何も反応が無い。残念なことだ。日本はマスコミが発達してる割にはアクションが皆似ている。強いて言えば共産党機関紙の「赤旗」が一般マスコミと同列には論じられないかもしれぬが、時折大きな問題提起をしてくれる。この問題も調査してほしいが、根っこがアメリカなので難しいのかもしれない。