大分秋らしくなってきた、そろそろ紅葉の季節だ。少し前であれば運動の季節とばかりに、里山ハイキングにでも行こうかと言うところだろうが、もうその気にはならない。やはり歳には逆らえない。秋晴れで少し暑いくらいの空を見上げて61年前の1964年10月10日を思い出している。当日開会式の入場券を父が折角送ってくれたのに、これをまだ得意先にもなっていなかった先の担当者に差し出し、自分は長野市に帰って冬場スキー場の小屋で兄貴分として慕っていた友人と一緒にパチンコ屋の店内にいた。
何故かモノクロテレビで、自衛隊機が5輪の輪を描いたのを漫然と見たような記憶がある。要するにその時はこの一大イベントにそんなに関心を持たなかったのだろう、昔から天邪鬼な子だ。しかし今日改めて当時の写真を観ていると、如何に凄いイベントであり、国内外に与えたインパクトがよく理解できる。GoogleのGeminiに聞くと、開催が決定したのは「1959年5月26日です」とのこと。
費用算段は措くとして僅か5年そこそこでよくもこのイベントを実行し、全世界から絶賛を浴びたことは容易に想像できる。代々木のスタジオこそ新建築だが、国立競技場は新築ではなく、改修で間に合わせている。競技の内容はよく記憶していないが、日本選手の活躍がどうであれ、海外から日本を初めて訪れた関係者は日本国の凄さ、町の美しさ、市民の礼儀正しさ、使用されている機材等が殆どメイド・イン・ジャパンであったことにはさぞ驚いたことだろう。
事実、このイベントのためには自民党をはじめとして政争を一時棚上げして一致協力したと歴史は伝えている。最近も同じ東京オリンピックが開催されたが、パンデミックの最中とは言え比べるまでも無い惨めさだ。平和イベントでもやれば出来るのに何故か何もできない現在の日本、この原因の根本を知りたい。
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