2025年1月27日月曜日

平和ボケかなぁ

 戦争から遠ざかって既に80年、現代の日本人の多くは昔よく聞いた(せんさい予防)即ち戦争災害からの予防措置と言う概念を殆ど忘れている。物心ついた頃はどこの家にも防空頭巾や水筒は用意され、庭のある家は防空壕を掘って緊急時の避難場所を作っていたものだ。更に隣組では年中防空訓練が実施されて空襲があった場合の避難経路や場所を知らない大人はいなかっただろう。因みに終戦間際に一度だけ長野市内による空襲警報が発せられ、市内の北に位置した女学校裏のしぐれ沢なる飯縄登山の入口まで連れていかれた経験がある。

今考えれば噴飯するほどのお笑い草だが、国民がまじめに対応していたことは事実だ。序に一言付け加えると昭和22年に小学生となったが、当時学校の近くに戦災孤児の収容施設があった。確か三帰寮と名付けられていたと思うが、長野市が設営していたのではと思ったりしている。当時日本は現代のパレスティナと同じ焼け野原あちこちにあって、長野市の被害は殆ど無いに等しかったと思う。本格的な被害を受けた原爆被災地や首都圏なんかにでは長野市のような対応ではとても及ばず、あちこちに現代は死語同然の浮浪児の存在があり、大人たちも三度の飯を食いあぐねる日が暫く続いていたのだろう。

ささやかな記憶だが、現代日本はそんな記憶すら無い政治家によって安全保障問題が議論されている。一方戦災の記憶がかすかに残る小生にはどうしても理解できない新造語は政府やマスコミ関係者がよく使う「核の傘」だ。核爆弾で痛烈な試練を味あわされたので、全国的にシェルターを構築してそう呼ぶなら少しは理解するが、アメリカが原爆を所有していて、日本には置いていない事になっている原子爆弾が何故予防措置になるのか全く理解できない。一方アメリカを含む核保有国に使用させないようにする国際条約を作ろうとする核兵器禁止条約国の動きもある。

この条約に日本も参加すべきとする民間団体の一つが昨年ノーベル平和賞を受賞した被団協であることはご承知の通り。共に1世紀近い間それぞれ二度と戦災を被らないことを前提でのお考えなので、どちらが良いのか小生には分からない。ただ最近片方がノーベル賞を受賞したので、両者がマスコミの前で対面せざるを得なくなった。両者ともに慇懃な対応をしているが、腹のうちは互いに相手を困った奴だと思っていることだろう。

中国やロシアでなくて北朝鮮や中東の小国でもどこでも良い、アメリカに刃向かえば第三次世界大戦になりかねない。そんな時に初めて日本が巻き込まれる危険性が生じるだろう。国会で行われている首相の施政方針に対する質疑応答を聞きながらこれを書いているが、誰もそんなことは考えていないようだ。

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